こないだの週末は、サヴァールのヴィオラ・ダ・ガンバをyoutubeでひたすら聴いていた。

名前はヴィオラで、形状はチェロに似ているけれども、
いずれにも似て非なる楽器である。

倍音をたっぷり含んだシブい音色は、
琵琶や三味線、シタールなどの東洋の楽器に近い気がしていて、
良い意味での土臭さに、
ハマってしまうと戻れなくなるような危険な魅力がある。

ただ冷静に考えてみれば、
ピアノやオーケストラに代表されるような、
バロック以降の西洋楽器が目指した「澄んだ音色」の方が、
音楽史の中ではむしろ例外なのであって、

世界各地の民族楽器にせよ、現代のエレキギターにせよ、
ある種の「雑音」を楽しむようにできている。

だから、ヴィオラ・ダ・ガンバというと、
何となくクラシック音楽好きが興味半分で聴くことが多いのだと思うが、
そういう方々には、間違いなく受けは悪いのだと思う。

そう、この楽器が奏でるのは、
クラシック音楽の文脈の中で捉えるのではなく、
もっと源流で、もっと肉感的な享受の仕方をすべき音楽なのであって、
このサヴァールの演奏は、その魅力を余すところなく伝えている。

ピアノやヴァイオリン属の澄んだ音色に慣れてしまうと、
敢えて雑音を混ぜてくるような楽器がニガテになるのは、理解できる。
(かつての僕がそうだったので)

けれど、音楽の広大なる裾野は、
むしろ後者の方に拡がっていることに気付いて、
もっと自由な音楽の楽しみ方を見つけるのも、
音楽ファンの嗜みだと思うのだけれど、いかがだろうか。

その意味で、このサヴァールの演奏は、
「音楽のあちらとこちら」のニッチを埋めてくれる貴重な存在である。