僕がセロニアス・モンクを知ることになったのは、
1969年のベルリンでの、このライブ映像。

うまい譬えがまったく見当たらないが、
固くて太い鉄の棒で、背骨の辺りを強打されたような、それぐらいの衝撃だった。

流麗とか軽快とか、そういう表現とは対極の、
武骨・・・では物足りない、、soul、そう、これはまさに真のソウル・ミュージックである。

一音一音を、腹の底から抉り出すような深くて強いタッチは、
ピアノという楽器の、別の可能性さえも窺わせてくれるし、
耳慣れた曲でも、まるで新たな生命を注入されたかのように躍動して聴こえるのが不思議だ。

「cantabile(歌うように)」ではなく、「語るように」。

つまり、メリスマではなくシラビックな音楽表現は、
洗練からは遠く感じられる反面、強烈なインパクトを残すことが可能であり、

そしてそこに内面(soul)が加わることで、
この演奏のように、神憑り的なものとなり得る。

こういうスタイルの演奏は、
上辺だけ真似しようと思っても、決してできるものではない。

現代の音楽の主流はメリスマであって、
そこから離れるには、相応の覚悟と経験が必要であり、
一度離れれば、間違いなく戻ってくることはできない「彼岸」へと渡ることとなる。

そもそもソウル・ミュージックとは、そういう音楽なのだと僕は思っているし、
それが黒人の音楽から生まれたことも、歴史的に決して偶然ではないのだろう。


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