英語の「string」の和訳について。

チェロのstringといえば、それは「弦」のことだし、
三味線のstringといえば、それは「糸」のことになる。

ところで、物理学でstring theoryというと、
「ひも理論」と訳されることも多いけれど、

あれは、string状態になった粒子が振幅運動したり共鳴したり、という理論なので、
「ひも」ではなく、まさに弦楽器の「弦」のイメージなのであって、

厳密には「弦理論」と呼ぶべきだろうと思っている。

「ひも」についてはさておき、ここではまず「弦」と「糸」の話。

三味線を習いたての頃は、
「糸」のことを思わず「弦」と呼んでしまうことはあったが、

逆に、チェロをやっていて、
「弦」のことを「糸」と呼んでしまったことはない。

まぁ別に、三味線が「弦」でチェロが「糸」であっても、
それはそれで大した問題ではないのだが、

「弦」と「糸」という漢字を、よーく見てみると、
似てることに気付かないだろうか。

それもそのはずで、「弦」は「弓」+「玄」、

「玄人」(くろうと)という言葉があることから分かるように、
「玄」には「黒色」という意味があり、

反対の「素人」(しろうと)の「素」は「白色」のことで、
「玄」と「素」、どちらも「糸」の字の一部分を含んでいるわけで、

要するに、「玄」=「黒い糸」、「素」=「白い糸」というわけだ。

つまり、「弦」とは「弓」に張られた「糸」のことで、
弓道の姿を想像するならば、

左手で握られているのが「弓」の本体で、
右手で引っ張っているのが、まさに「弦」である。

ちなみに、康煕字典には「糸へん」に「弓」と書いて、
「弦と同じ」と載せているから、
まぎれもなく、弦とは武器の弓の糸の部分なのだ。
(「絃」という漢字も同じ意味)

さて、ここでおかしなことに気付かないだろうか。

ヴァイオリンやチェロでは、
「弓」は右手で操る棒状のもの(まさにbow!)であり、

楽器本体に張られて音を出すのが「弦」であって、
さっきの弓の話とは事情が異なるではないかと。

弓に張られたのが弦であるのならば、
ヴァイオリンやチェロでは、
あの馬の毛で作られたフサフサした部分が「弦」ではないのかと。

ここからは多少想像の話。

「弦」という漢字はもちろん中国で生まれたわけだが、
その中国の古代楽器を探ってみると、

弦楽器については、
どうやら指やピックで「弾く」弦楽器と、弓で「こする」弦楽器の二系統があったらしい。

つまり弾き方はともあれ、

「棹に張られた糸が音を出すもの」

が「弦楽器」だったというわけだ。
(ちなみに、「弦楽器本体」を呼ぶときも「弦」という言葉が使われていた)

これは完全に想像だが、太鼓、、ではなく太古の弦楽器というのは、
まさに武器の弓のような単純な形状で、
その糸の部分を、ボロンボロンと指で弾いて奏でていたものだったのだと思う。

そこで問題となるのは、ヴァイオリンや二胡の「弓」なわけだが、
混乱を助長しているのは、あの棒状のもの(まさにbow!)を「弓」と呼ぶがゆえである。

「弓」という漢字を諸橋大漢和で調べてみても、
実は武器としての弓の説明ばかりで、
楽器を弾くあの棒状のもの(まさに・・略)については言及がない。

しかし、「胡弓」という楽器がある。

簡単にいえば、弓で弾く三味線なわけだが、
「胡」という字が付いているように、
元はペルシャあたりが起源の楽器だったに違いない。

そこで次のように想像をしてみる。

もともと、中東地域に「胡弓」なる楽器があった。

それは馬の毛を束ねたもので糸をこすって音を出す弦楽器だったのだろうが、
「胡弓」の「弓」というのは、

「馬の毛を束ねたもの」のことではなく、
弦を張った楽器本体のことではなかったか。

つまり、もともとは楽器本体のことを「弓」と呼んでいたのであり、
そこに張られていたのが、まさに「弦」だったとすれば、理屈に合う。

まさに上で述べたような、武器の弓の弦の部分を鳴らす太古の楽器のイメージで、
ただ、「胡弓」は弦を指で弾くのではなく、
「馬の毛を束ねたもの」でこすって音を出していた。

その「胡弓」が、東は中国を経て日本へ、
西はヨーロッパに伝わるうちに、

「馬の毛を束ねたやつ」の方が、武器の弓の形状に似ていることもあり、
誤ってそちらが「弓」、
西洋では「bow」と呼ばれるようになったのではないだろうか。

話をまとめよう。

1.弦楽器とは、弾き方に関わらず、糸が張られた楽器のことを指す。

2.「弦」とは、弓に張られた糸のことであり、
太古は、弓の糸の部分を弾いたりこすったりして音を出していたのだろう。

3.ヴァイオリンや二胡で、右手にもつ棒状の物体を「弓」と呼ぶのは、
おそらく誤用が定着したものである。

4.本来は「2」で述べたように、楽器本体が弓だったのであり、
それがいつしか、右手でもつ棒の方を、弓(bow)と呼ぶにいたったのではないか。

ちなみに、中国の古典や日本の軍記物などによく出てくる言葉で、
「弓手」(ゆんで)というのがある。

これは弓を持つ手ということで、左手のことだ。
(右手は馬の手綱を掴むので「馬手」(めて)という)

つまり「弓手」=「左手」というのが常識になっている文化圏で、
右手にもつあの棒を「弓」と呼んでいただろうとは、
安易に同意できないようにも思うのである。