「グーテンベルクの謎―活字メディアの誕生とその後」(高宮 利行)

 

2000年代の前半、僕がまだ起業する前、

ケータイ(スマホではない、いわゆるガラケー)のアプリで、
漫画や書籍が読めるようになり、

ちょうどそのプロジェクトに少し関わっていたこともあって、

将来「紙で読む」文化は絶滅するのかどうか、

という議論がホットになっていた時期があった。

当時の僕の結論は、
「紙の本がなくなるわけないじゃないか」
というものだったが、

あれから10年以上経ち、
スマホでの読書やkindleなどの電子書籍が当たり前になるにつれて、

「紙と電子、両方あった方が便利なのは間違いない」

というのが、現在進行形の僕の結論である。

とはいえ、個人的には、普段の読書については、紙以外にはありえない。

ただ、電子版があると便利なのは、
専門性が高い書物になればなるほど、単語やフレーズで検索をかけて、
そこに瞬時にアプローチできる、という利点は計り知れない。

たとえば『源氏物語』において、「かなし」という形容詞が、
いかなる場面でどのように使われているかを調べたい場合、

従来であれば、「かなし」という語の出現箇所をすべて目視で探す必要があり、
この「下準備」だけで膨大な労力を割かれることになる。

それが電子版であれば、検索窓に「かなし」と打ち込むだけで、
該当箇所をすべてリストアップすることができる。

理科系の世界では当たり前すぎておかしくなるようなレベルのことが、
人文科学の世界では、まだそれほど普及しておらず、

なので、今後本が出版される際には、
ぜひその電子データ版も一緒に販売することを、出版社には検討いただきたい。
(技術的には楽勝のはずであるが、あれこれの問題が存在しているのは承知の上で。)

さて、「印刷」-「電子書籍」という相転移が生じているのと同様に、
かつては「写本」-「印刷」というパラダイムシフトがあった。

この『グーテンベルクの謎』は、
活版印刷を発明したといわれるグーテンベルクにまつわる謎や、
当時の文化事情を考察しながら、

「本とは何か、メディアとは何か」

を問うものであり、
平明な文体にかかわらず、その伝える内容は結構重い。

特に、「文学史」と並行して「文学享受史」の意義を語っている部分など、
普段は本など読まない人であっても、
「伝える」ことと「伝わる」ことの関係性について、
一読の上じっくりと考えてもらいたくも思う。

いつか未来には、「電子書籍」さえももはや古くなり、
脳内にインストールすれば、一瞬で読書が完了する、という時代が来るかもしれない。

生物の進化と同様、文明の進化も逆行はできない。

そのような時代に、もう「紙の本」に後戻りはできないのであれば、
いま敢えて「本の意義」について考えてみることが必要であるに違いない。