常々思うのは、光琳、抱一、其一と連なる琳派の系譜は、
先人の素材を大胆に再利用しているわけで、
それはまさに、和歌の世界の伝統である「本歌取り」と酷似しているということ。

ただ、琳派の絵の多くは同じ素材に対して、
微妙なレベルで変化を加えてはいるものの、
基本的には同じ文脈を受け継ぐものであって、

本来の意味での「本歌取り」、
すなわち、四季の歌ならば恋の歌に替え、
恋の歌ならば雑歌に替える、といったような、

「主題の転換」というレベルには至っていないものが大部分のように見受けられる。

それは単に、絵画と和歌という、根本的に異質であるがゆえのことなのか、
それとも琳派の画家たちがそこまでは踏み込めなかったのか、
よく分からない。

ただ今回展示されていた、この「富士扇面」については、
光琳の描いた富士を、秋草の下地に大胆に貼り付けることによって、

其一は、心の師による祝賀的なテーマを、
秋草の野という寂寥たる情景に転換してみせたのである。

 「富士扇面」(尾形光琳・鈴木其一)

次に挙げた抱一の「燕子花図屏風」は、
「あの」光琳の燕子花を意識していることは間違いない。

けれども、光琳バージョンの直線的な濃厚さに対し、
抱一バージョンは、色合いも落ち着かせ、優美なCの字カーブに変質させた。

最初の其一ほどの大胆さはないが、
元ネタに付かず離れず、心地よいレベルの「本歌取り」であろう。

 「燕子花図屏風」(酒井抱一)

続いては、其一の「藤花図屏風」。

 「藤花図屏風」(鈴木其一)

表面に銀粉をまぶしているのだが、
最初見たときには、点描か?と思ったほど緻密であり、

残念ながら既に銀色が鈍ってしまっているので、
元の姿はどれだけ見事だっただろうかと、想像を楽しませてくれる。

そして次も其一の「四季花木図屏風」。

 「四季花木図屏風」(鈴木其一)

琳派な最終ランナーと言ってもよい其一による、
琳派の総決算的な作品。

紅白梅、燕子花、楓、流水・・・

琳派の画家たちが得意としたモチーフが総登場するグランドフィナーレであり、
絵画として優れているかどうかはさておき、
この展覧会の最後を飾る作品としては、実にマッチしていたように思う。