「蔵書一代」(紀田 順一郎)
副題は、「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」。

本好きであれば考えざるを得ない、

蔵書をいかに処分するのか、
蔵書にはどのような意味があるのか、

について語った本である。

割と軽めな文庫小説などを読まれているのであれば、
ある程度たまった本を古書店で売ることは、
それほど悩むことではないのかもしれない。

けれど、今後の趣味人生において参考となるだろう本や、
そうでなくても、一冊何千円もしたものになると、
やはり手元に置いておきたくなる。

そしてそれは「我が物顔で」たまってくる。

しかしたまり続けることには、
スペースや重さの問題など、物理的な限界が必ずある。

そのとき、どうするのか。

古本屋に数十円、数百円で渡すぐらいなら、
図書館や学校に寄贈したい、とも思ったりもするが、

この本によれば昨今は大量の蔵書を引き取ってくれる施設などは皆無で、
結局は廉価で「処分」しなくてならなくなる辛い現実が待っているらしい。

では電子図書にすればよいのかといえば、
本好きにとっては、本と電子書籍というのは似て非なるものである。

やはり紙の本の「物理的な存在感」というのが何物にも代えがたいのであって、
例えば、昔の音楽ファンが頑なにLPにこだわり、
決してCDや音楽配信を受け入れない、というのと、
少し通じるものがあるのかもしれない。

ただ、雑誌や文庫、新書などは、
そろそろ電子書籍に切り替えてもいいのかな、
と僕的にはちょっと考えてはいる。

本好きというのは、
本の「物理的な存在」を愛でる反面、「物理的な限界」には鈍感だという、
苦しいジレンマについて色々と考えさせられた。