「国宝 土偶展」(@東京国立博物館)

「国宝 土偶展」(@東京国立博物館)

土偶展
縄文土器や土偶に、考古学的アプローチではなく芸術的アプローチを初めて試みたのは、
岡本太郎だったろう。

とは言うものの、自分としては今までじっくりとそれらを眺めたことはなかったので、
「ボルゲーゼ美術館展」の帰りに、やはり上野で「土偶展」が開催されているのを見つけ、
足を運んでみた。

これは、すごい・・・

国宝に認定されている土偶は3体しかなく、
今回初めてその3体が一ヶ所に集まった、なんて蘊蓄はさておいたとしても、
この造形美は感動的だ。

文化というものは、どんなジャンルであれ、時が経つにつれて、一般化・平均化する。
そしてその一般化した中から飛び出した「稀な個性」が、すぐれた作品・芸として評価をされる。

今から1万年以上前の太古、一般化・平均化などというものは勿論、
未だ文化などという概念すら存在しなかったこの時代、土偶に見られるのは、まさに「個性の爆発」である。

そこには縄文土器に見られるような、共通の様式というものすら、ない。

作り手が何かを感じるままに、そしてその何かに衝き動かされるかのように、
思うがままに「形」を作った。

すべてが「のっぺり」としてしまった、後の時代の埴輪とは、大違いである。

勢い、熱さ、そして対象への畏怖・愛情、それらすべてが固まって、必然的にこのような形になったのだと思わせてくれる。

だが不運なことに、こんな熱いハートをもった縄文人の文化は、「異人種」である弥生人により駆逐され、
歴史の表舞台から下りることになる。

我々がいわゆる「日本的なもの」としてイメージする文化は、この弥生人の文化を伝承しているといってもいい。
その特徴とは、平板で、なめらかで、あたりさわりなく、質素・・・つまり縄文の造形とは180度逆のものだ。

けれども、失ってしまった縄文人の美学を取り戻す資格が、その子孫である我々日本人にはあるのだ。

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