シュールレアリスム展
芸術には二つのベクトルがある。「作品」と「行為」と。

例えば、「ホロヴィッツがショパンを弾く」といった場合、
ショパンの「作品」も、ホロヴィッツが弾くという「行為」も、
どちらも鑑賞の対象となり得る芸術であると言える。

それはもちろん、音楽というものが再現芸術であるからであって、
美術、特に絵画の場合は、「行為」が着目されることはまずあり得なかった。

我々は、レオナルドやモネの「作品」を楽しむのであって、
それがどのように描かれたかということに関しては、
正直どうでもよいのである。

近代芸術、特にシュルレアリスムは、
そこを逆手に取ることで、自らの存在意義を確立したと言える。

すなわち、出来上がった作品よりも、

それをいかなる動機の下で、いかなる手法で表現するか、

ということに軸足を移したのである。

だから、ルネサンスや印象派の作品を眺めるのと同じ視線で、
シュルレアリスムの作品に対峙しても、何も見えてこない。

目の前の「物体」から感受できる情報はわずかだからである。

だから本来、「シュルレアリスム展」という企画展を開催するのであれば、
それ相応の仕掛けと工夫が必要になってくるはずなのだ。

そんなことを考えながら、雪の降る朝に、足を運んでみた。

結果は、はずれ。

通常の美術展と何ら変わりのない、
メリハリのない展示がされているだけ。

企画もアイデアもなく、ただ単に海外から絵を借りてきて飾るだけの美術展を、
ましてや「国立」という冠が付いた美術館で開催するのは、
我が国の文化レベルの低さを象徴しているようで、何ともイタイ・・。

開催側は、お金よりも、もっと頭を使ってほしいよね。

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