「生誕100年 岡本太郎展」(@東京国立近代美術館)
肖像画の時代をピークに、
西洋画では「顔」(表情)の地位が下がってしまったような気がする。

印象派にとっては、「どんな表情か」というよりも、
「どのように見えるか」が重要だったし、
ピカソにしても例外ではない。

それに真っ向から対応したのが、
岡本太郎だったろう。

彼の作品には、ほぼ例外なく「顔」がある。

ぱっと見、顔には見えないものでも、
目が慣れてくるにつれて、目が見え口が見え、
そこに表情が浮かび上がってくる。

「目は口ほどにモノを言う」どころか、
まさに「顔」こそが表情の、すなわちその人による「表現」を、
ストレートに反映させたものということなのだろう。

縄文土器に美術的価値を見出しのは、
岡本太郎が最初だった。

同時に彼は、弥生土器はのっぺりしていて詰まらないものだと、
片づけている。

彼の撮影した縄文土器を見ると、
その縄模様がちょうど顔に見えるようなトリミングをされているような気がする。

やはり縄文土器に「顔」を見ていたに違いない。
まるで能面のような弥生土器に魅力を感じなかったのも、頷ける。

怒っているのか、悲しんでいるのか、喜んでいるのか・・・
そんなものは、回りくどいことをしなくても、
顔を見ればひと目で分かる。

だったら、顔を描けばいいじゃない。

岡本太郎の、ストレートな生き様と、
作品中に顔が多く出現することとは、決して無関係ではあるまい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です