「セザンヌ-パリとプロヴァンス」(@国立新美術館)

「セザンヌ-パリとプロヴァンス」(@国立新美術館)

セザンヌ-パリとプロヴァンス
究極の具体は、抽象へと昇華される。

絵画の転換点は、ニュートンによる光の分解にあった。
それまで単なる「一筋の光」だったものが、物理学の天才の手により、幾色にも解きほどかれることになる。
絵画の分野では、印象派がその流儀を引き継いだ。

マティスやピカソはさらに一歩踏み込んで、色や形を、「故意に」分解してみせた。

「故意」ではないものが、純粋なる真実を捉えることを、セザンヌは証明してみせた。

風景、静物、そして人物。ありとあらゆる「具体」を描きながら、それらは具体に留まってはいない。

天才の手により、サント=ヴィクトワール山は、もはやその名はどうでもよく、画面に湧き上がるフォルムと化す。
タイトルを知らずにその絵を見た人が、「これは雲の絵である」と言ったとしても、誰も非難はできないだろう。

リンゴの下のテーブルクロスは、リンゴを引き立たせ、「静」に対する「動」を暗示させる「存在」へと変容してしまっている。

セザンヌ-パリとプロヴァンス

中世以来、「具体」を描くことを第一の使命とされた絵画が、その役目を写真に譲ったとき、
その後に続く絵画は、「反・具体」でしかあり得なかった。

その壮大なる世界観の転換を、セザンヌという天才は意図せずやってのけた。

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