ポーラ美術館は遠いので、レオナール・フジタの絵をまとめて観る機会がなく、
今回、やっと念願が叶った形だ。

フジタの年譜を見ると、そのアクティブさにあらためて驚く。

今よりも世界がずっと広かった時代、日本とフランスの行き来だけではなく、
北米や中南米、それと中国など、公私に渡り、世界中を飛び回っていた中で、
これだけの創作活動が出来たということに、まず感服する。

そして、東京在住時代の、彼のアトリエのあった住所を拾ってみると、
練馬、麹町、江古田、四谷左門町・・・どれも、今の僕の行動圏内で、かなり親近感が湧く。

フジタの絵と言えば、あの「乳白色の肌」をした女性画が有名であるが、
今回、僕が注目したのは、「室内」という一枚。

フジタは、立体模型まで作っていたのだから、
この「室内」に描かれた部屋のレイアウトが余程気に入っていたのだろう。

部屋を描いた著名な作品といえば、ゴッホが思い浮かぶ。
並べてみよう。

 

レオナール・フジタ展

右のゴッホの部屋は、有機物そのものだ。
まるで生き物のように色味を帯び、うねり、画面奥への強烈なパースで、
動的な感覚を演出している。

それに比べて、左のフジタの部屋はどうだろう。
一面のモノトーンと、無機質な陰影。

家具は存在しているものの、ゴッホの部屋のように波打ってはいない。
静かに、家主を待つ。いや、家主は永遠に不在なのかもしれない。

そこにあるのは、徹底した静寂であり、
もはや「人があっての部屋」ということさえも忘れさせる、物体としての存在である。

ゴッホの絵における、右壁の扉は、ゴーガンの部屋に通じていたといわれている。
対して、フジタの絵の正面にある扉はどうだろう。
見た感じ、扉の先は闇だ。

これが描かれた1950年、日本の美術界に失望したフジタが選んだ、孤独の道。
(その5年後、日本国籍が抹消となる)

扉の向こうの「闇」から自らを守るのが、この部屋であったのだろうか。

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