「若冲と蕪村」(@サントリー美術館)

「若冲と蕪村」(@サントリー美術館)

光琳が没した1716年に生まれた二人の絵師、若冲と蕪村。

それぞれの作品は、いろいろと見てきたが、
今回のようにひとつの企画展として比較をしてみると、
二人の絵に対する正反対のアプローチがあらためて分かり、興味深い。

「花鳥風月」という言葉がある。

美術はもちろん、文学、芸能など、
日本文化のあらゆるジャンルの題材の総称であるが、
若冲と蕪村の違いは、端的にいえば、「花鳥風月」との向き合い方の違いなのだと思う。

・若冲と花鳥風月

若冲に人物画が極端に少ないことと、鳥の絵が多いこととは、
決して無関係ではないだろう。

鳥という動物は、犬や猫と同じぐらい人間の生活に入り込んでいるけれども、
哺乳類との決定的な違いは、その表情ではなかろうか。

祖先が大型爬虫類ということもあり、
鳥類の顔は、無表情であり冷酷に見えるときさえある。

犬や猫であれば、嬉しかったり悲しかったりが表情に出ていると思われるときもあるが、
鳥にはそういうことは、まるでない。
(自分も、かつて長く鳥を飼っていたことがあるから間違いない)

鳥は見る者に感情移入させない、いわば「絶対的な客観性」を備えた対象であり、
鳥を描くこととは、すなわち、
対象を純粋に対象として、客観的に接するということである。

つまり、若冲の花鳥風月には、徹底した距離感がある。

決して「あちら側」にはいかず、「こちら側」にいて対象を描ききる。

そんな若冲に、人の表情など描けるはずもないことは、容易に想像できるだろう。

こちら側にいたままで、対象を自在にコントロールしようとするならば、
当然、対象は珍しいもの、奇異なものにまで拡がってくる。

誤解をおそれずにいえば、若冲は芸術家というよりもデザイナーであり、
もしかしたら琳派の絵師たち以上に、光琳の遺伝子を継承していると言えるかもしれない。

・蕪村と花鳥風月

蕪村の花鳥風月に対する態度は、若冲のそれとは全く逆である。

まずは俳人としての蕪村から入ってみよう。

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五月雨を 集めて速し 最上川(芭蕉)

五月雨や 大河を前に 家二軒(蕪村)
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今さら語るまでもない名句であるが、
芭蕉の句の方は、
雨という形で降り注いできた水が、川という形に変換されて流れてゆく、そのダイナミズムの面白さと、
しとしと降る雨と急流というテンポの違い、
さらには、天から降って、流れていくという一種の無常観などをも詠みこんでいる、
感覚のディテールが冴え渡った句である。

蕪村の句は、それを「本歌取り」して、
芭蕉の句の良いところは全部取り込んでいるという「前提」でありながら、
大胆な転換をしてみせる。

感覚のディテールは根こそぎ切り捨てて、
その代わりに、「家二軒」という芭蕉の句には見られない、
異質なアイテムをもってきたのだ。

家とはもちろん、そこに人の生活があることを意味する。

しかもそれが二軒であるということは、隠者の棲家ではない。
そこには近所付き合いがあり、家族同士の交流が発生している。

詳細はもちろん分からないが、受け手に何かしらの「物語」を想起させてくれる。

芭蕉の句が若冲の絵同様、客観に徹していたのに対し、
蕪村は、対象の世界に入り込み、そこに物語を構成しているのである。

この蕪村のスタンスは、当然ながら彼の絵でも同じである。

蕪村の絵に何となく懐かしさのようなものを感じるのは、
この物語性のためではないだろうか。

山水画であっても、そこにあるのは突き放したような寂寥感ではなく、
物語的なパノラマ世界であり、
観る者を「あちら側」へ誘ってくれるのだ。

さて、本展覧会に出品された二人の作品で、上記を確認してみたいと思う。

 

若冲と蕪村

左二枚が若冲(「白梅錦鶏図」「雪中雄鶏図」)、右二枚が蕪村(「鳶・烏図」)である。

デザインとして完璧すぎて、近寄り難ささえ感じさせる若冲と、
題材の厳しさとは裏腹に、どことなく親しみやすい蕪村。

蕪村の絵において、超然とした鳶が芭蕉に、肩を寄せ合う烏が蕪村にたとえられているというのも、
蕪村の絵が、観る者に感情移入をさせていることの証拠である。

次の屏風二枚が、今回の展示のクライマックス。

まずは若冲の「象と鯨図屏風」。

象と鯨図屏風

若冲の対象を求める目が、珍奇なものへと向いていた典型である。

題材の妙と、レイアウト・コントラストの腕前はさすがだ。
ただ、目に入るもの以上には、想像力の介入を許してくれない。

対して、こちらは蕪村の「山水図屏風」。

山水図屏風

一面の銀箔が、色無きところに色を生じさせる墨絵の特徴を、
最大限に引き立たせている。

それはさておき、この絵には物語がぎっしり詰まっている。

上の図では見えないかもしれないが、
壮大なパノラマ世界に、人々の生活が息づいているのである。

家があり、橋があり、行き交う人々。

まさに、「大河を前に 家二軒」の世界である。

観る我々は、色彩に邪魔されない分、余計に想像力を掻き立てられ、
この山水の境地に遊ぶことができる。

とまぁ、長々と書かせていただき、お分かりかとは思うが、
僕は断然、蕪村贔屓である。

蕪村の山は、セザンヌの山にも負けていないと思っている。

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