「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(@国立新美術館)

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(@国立新美術館)

快晴のゴールデンウィーク最終日。

さぞかし混むだろうと覚悟して出向いたのだが、
若干時間が早かったせいか、割とゆっくりと鑑賞できた。

個人のコレクションで、ここまでの名品を揃えられるというのは、
経済力も勿論のことだが、やはり目利きが素晴らしい。

紹介したい作品はいくつもあったが、
その中でも個人的に気に入ったものを紹介しようと思う。

・「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア」(アントーニオ・カナール(カナレット))

アントーニオ・カナール(カナレット)

 

右端に丸みのあるドームを配置し、
画面の3分の2を運河と空が占めるという、絶妙なバランス感覚。

右側のドームのゆったりした感じと、
左側の細かな風景とが、良いコントラストを為していて、
風景画の教科書のような作品。

非の打ちどころは、ひとつも見つからない。

・「アングル夫人の肖像」(アングル)

 

僕的には、肖像画においては右に出る者はないと思っている、
アングル先生の作品。

当展覧会には別の肖像画(こちらも素晴らしい!)も出品されているが、
最愛の妻を最大の愛情を以て描いたということがひと目で分かるこの作品を、
紹介することにした。

惜しむらくは顔以外は未完成なのだが、
顔を眺めるだけでも、この大家がいかにこの作品に力を注いだかが分かる。

やはりアングルの肖像画には、心を動かされる。

・「オニーからポントワーズヘ向かう道 − 霜」(カミーユ・ピサロ)

 

いかにもピサロらしい、と言えばそれまでなのだが、
他の印象派画家たちの作品が「陽」だとすれば、これは「陰」とでもいうような、
「土臭さ」を印象派的に描いたらこうなる、という作品。

観てるだけで肌が乾燥してきそうなカサカサした感覚を、
油彩でシンプルに表現できる力量は相当なものだと思う。

・「ピアノの前のカミュ夫人」(エドガー・ドガ)

 

思いがけない訪問に、ピアノを中断して振り返ったその一瞬という、
何ともマニアックな題材であることが心憎い。

はにかみ笑いのような半開きの口などの表情の捉え方や、
ピアノの上の人形の影など、
ディテールの描き込みもきちんとしていて、なかなかの良作。

さて、このあたりから真打の登場となる。

・「庭師ヴァリエ(老庭師)」(ポール・セザンヌ)

 

キュビズムへと続いてゆく、晩年のセザンヌが到達した表現の境地。

それを見事に表しているのが、この作品だと思っている。

絵画というものが対象を捉える芸術であるならば、
では如何にしてその対象を捉えるのか、

その当たり前ながらも、難解なテーマに恐れずに立ち向かった孤高の天才の姿が、
この静かに佇む老人と重ね合わされるようだ。

・「二人の農婦」(フィンセント・ファン・ゴッホ)

 

ゴッホの「あくどい」表現手法は僕の好みではないが、
この作品は興味深いので取り上げておこうと思う。

果たしてここまで、「生気のない」農夫を描いた画家がいただろうか?

画面のほぼ中央に描かれながら、
彼女たちからは何のエネルギーも発散されていない。

というよりも、絵全体が、その曲線や色使いによって、
あたかもひとつの有機物のような存在となっているために、

本来は主役であるはずの二人の農夫が、
あくまでも部分にしかすぎなくなってしまっている。

対象をとことん突き詰めたのがセザンヌだとしたら、
全体をひとつのカンバスに塗り込めてしまうというのがゴッホの手法。

(陳腐な表現だが)まるで魔法をかけたように、
ひとつの平面に世界を閉じ込めてしまうその手法は、

端的に言えば浮世絵から学んだということなのだろうけれど、
北斎も広重もそこまで悪魔的ではなかった。

・「室内の情景(テーブル)」(アンドレ・ドラン)

 

パッと見、マティスのようなフォーヴ感を纏いながら、
でもよくよく見ると、セザンヌ的な計算された構図を用いているという点で、
すごく面白い作品だと思う。

正直、この画家のことはよく知らなかったのだけれども、
少なくともこの作品においては、「セザンヌ以降」という、

西洋美術の重要なターニングポイントの典型であるという意味において、
評価されるべきなのではないだろうか。

・「夏の帽子」(ピェール=オーギュスト・ルノワール)

 

今回の展示の目玉として、
同画家による、超絶美少女「イレーヌ」が隣にあったために、かなり目立たない存在となっていたが、
僕はこの作品がかなり好きだ。

左の少女の表情は、決して可憐とは言えないのだが、
おそらく年上である右側の少女に帽子を彩られて、
「はにかんでいる」表情なのだと思うと、この絵の評価がガラリと一変しないだろうか。

右手に花を握りしめながらも、
帽子にそれを飾られることに若干の恥ずかしさを感じている一瞬を、
この画家特有の豊かな質感で表現したこの作品は、なかなか深い。

ルノワールは数多く観てきたけれども、
その中でも一、二を争うぐらい優れた作品だと思う。

画面ほぼ中央で、右側の少女の両手が密度を形成しているのもポイント。

そして最後は、モネの2作品で締めよう。

・「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」(クロード・モネ)

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(@国立新美術館)

 

画面の下半分を鮮やかな花で占め、
上半分は緑と、やや曇った空のレイヤーで分けるという大胆な構図。

絵画というよりも、もはやデザインに近い作品ではあるが、
シンプルに見る者の眼を楽しませてくれる。

ヒナゲシの群れに同化しそうなギリギリのところで存在を保っている4人を敢えて右側に寄せて、
左下を豊かに見せているところなんかは、
単なる「キレイな絵」ではなく、計算されたレイアウトであるに違いない。

・「ジヴェルニーのモネの庭」(クロード・モネ)

 

上の「ヒナゲシ」をさらに突き詰めたような、一面の花。

画中に一人の人物がいることはもちろん分かるが、
その存在を、花と区別するものは果たして何か?

色なのか、形なのか。

「対象をどう描くか」ということについては前述したけれども、
セザンヌやゴッホとはまったく異なる、モネ流の描き方がここにはある。

といっても、実はこれが印象派の主流ではあるのだが、
一面の色や光の群れの中で、対象をいかに描き分けるか、
これこそが、モネを理解する鍵だと思っていて、
この作品はそれが如実に現われた作品なのだと思う。

紹介した以外にも、普段目にしないようなマネの作品など、
とにかく見どころが多い展覧会だった。

何度も書いたように、対象の捉え方という点で、
それぞれの大家がどう腕を振るったのかがよく分かるコレクションだと思うし、

絵画を鑑賞する楽しみのひとつは、
画家の視線をなぞることだということを再認識させてくれた。

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