「文鳥」(夏目 漱石)
漱石の作品で何が一番好きですか?
なんて質問をイマドキしてくる人はいないだろうけれども、
万が一そう聞かれたら、僕は「文鳥」と答える。

小説というよりも、
随筆(エッセイ)と呼んだ方がよいのかもしれない。

特に何のあらすじがあるわけでもなく、
漱石が鈴木三重吉から文鳥をもらって、
それを飼って、その文鳥が死ぬまでの話である。

これはあくまでも僕の主観だが、夏目漱石という人は、
教科書流に言うところの「日本を代表する作家」と安易に呼ぶにはためらわれるほどのクセモノ
だと思っている。

彼の長編は、どれも重い。

作品として良いか悪いかは別として、
何か腹の底から地面に向かって、
ズシーンと重力がかかっているようなそんな感じがして、

けれども逆に、この「文鳥」や「夢十夜」、
「永日小品」のような作品には、”軽み”があって、よろしい。

我が国が誇る文豪に向かって、よろしい、とは甚だ失礼千万ではあるが、
読み手に好き勝手に解釈されるのが作家の宿命だから仕方がない。

漱石が多忙を理由に文鳥の世話をしなくなり、
最後には鳥籠の中に死骸として発見したときのくだり、

「・・・玄関へ外套を懸けて廊下伝いに書斎へ這入るつもりで例の縁側へ出てみると、
鳥籠が箱の上に出してあった。
けれども文鳥は籠の底に反っ繰り返っていた。
二本の足を硬く揃えて、どうと直線に伸ばしていた。・・・」

確かに残酷ではあるのだが、
この冷徹ともいえる描写は、俳人としての漱石の為せるワザでもあろう。

まだ少年時代にこのフレーズを読んで以来、
鳥がそのウロコだらけの脚をまっすぐに宙に伸ばして
ひっくり返っているイメージというのが、どうも頭を離れない。

特に好物の、焼き鳥を食べるときとか・・・。

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