「美術館の政治学」(暮沢 剛巳)
朝日新聞社に勤めていた、
昔の彼女が置いていった本だけれども、
エラく難しい本で、僕が理解できるレベルを遥かに超えている。

つまりは、作品(ソフト)という視点ではなく、
ひたすら箱(ハード)の面から、美術館に迫ろうという著作。

でもタイトルの通り、ホントに「政治」っぽい内容で、
ごめんなさい、この本の内容はほとんど理解できていないです。

ただ僕の本棚の中で、妙に存在感を主張しているので、
敢えてここで紹介しておきます。

さて、「政治」という点を切り離してしまえば、
美術館におけるソフトとハードの関連性を語ることは、
それほどキライでもない。

良い作品を所蔵している=良い美術館、
なんて図式は一番愚かしい
ものであって、
ソフトと切り離した、ハードとしての美術館自体の評価というのは、
もっと盛んに行われてもよいと思っている。

そういった意味では、最初から所蔵品をもたない、というコンセプトで作られた、
国立新美術館(六本木)というのは潔いのだけれども、
あれは誰が設計したのだろうか、もったいない。

あれではまるで、パシフィコ横浜のようなイベント会場にすぎない。

所蔵品をもたない、というコンセプトは良いのだけれども、
美術館であるという誇りというか気概のようなものは、
捨ててほしくはないものだ。

だから僕は、百貨店で行われる美術館であっても、
良いものは良いと思うし、

逆に、国立の美術館・博物館で行われるものであっても、
悪いものはたくさんあると思っている。

おっと、この本の内容にはまるで触れていませんが、
読書というのはそんなもんです。

何を読んだか、よりも、そこから何を感じたか、です。

なので、我が国の、「ハードとしての美術館の貧弱さ」を、
もっと声高に訴える人がいてもいいのかと思いますが、
そんな酔狂な人はいませんね・・・

ルーブルやメトロポリタンは、所蔵品は一流ですが、
ハードとしての評価はどうなのでしょうか。

そんなことも考えてみたくなる、今日この頃です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です