芸能における、身体性。

西洋では、バレエ。

日本では、能、人形使い、歌舞伎。

能が捨てた一部の動きを、文楽が拾い、
それが歌舞伎へと受け継がれていったというのは、まさに慧眼。

そして、オペラには指揮者がいるのに、
文楽にはそれが不在だという視点。

指揮者不在の中で、人形使いと、太夫と、三味線が、完璧に調和する。

これは一見、簡単そうに思えるが、
お互い視線が合わせられず、掛け声もかけられない中で、
絶妙の間合いを計ってアンサンブルするというのは、至難の技だ。

それに比べれば、オペラに指揮者がいるというのは、贅沢なようにも思えてくる。

未だに新鮮さを感じる芸術論だ。

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