「星は周る」(野尻 抱影)

 

最近発刊された、平凡社のSTANDARD BOOKS。

本屋の店頭で野尻抱影の名前を見つけて、
懐かしくて衝動買いをしてしまった。

野尻抱影を知らない人でも、
大佛次郎の兄であり、plutoを「冥王星」と訳した人、
と言えば通じるだろうか。

何といっても、天文学にロマンチシズムを注入して、
「愛でる学問」と呼ぶべきものに昇華させたのが、
彼の功績だった。

そのエッセイのひとつひとつは、
まさに夜空の星のように美しいのだが、
「北斗美学」というタイトルの文章は、
ちょっとタイプの違うものとして、僕のお気に入りである。

「仮に(北斗七星の)桝の口から星に1・・・・7の名をつけると、
12の間隔は角度で五度あって、
それが2でほとんど直角に折れ、長さ八度で3に達する。
ここがマスの底に当たる。
次に3から4へ伸びるには、角を十度余りも大きく開いて緊張をゆるめ、
かつ4の光度を一等級だけ落としている。
そして、これにつづく柄を56と次第に内方へ曲げ、
最後に一段と曲げて、7の星で受けている。
この柄の長さも、マスの口の十度角に対して十六度である。」

北斗七星の七つの星の位置関係を、
いまだかつて、このような文章で説明したものがあったであろうか。

淡々と客観性を保って述べているにもかかわらず、
まるで詩を読んでいるような感覚になるから不思議だ。

彼の文章の醍醐味が、ここに凝縮されているといっても過言ではない。

最後に恐縮なら、
僕が天文に興味を持ったきっかけを書かせてもらうと、
僕が幼少期を過ごした中野には、プラネタリウムがあった。

そこで毎週土曜・日曜は、
たしか子供は50円ぐらいで鑑賞できたのだけれども、

プログラムは月に1回しか変わらず、
しかもローテーションされるというのに、
子供の頃の自分は、毎週のように50円玉を握りしめて通っていたのを、
よく覚えている。

たぶん最初は、親に無理矢理行かされていたのだと思う。

それを毎週毎週繰り返すにつれ、いつか星の物語が、
自分にとってなくてはならないものになっていったのだろう。

ある意味、寂しい子供だったのかもしれないが。