「生命潮流」(ライアル・ワトソン)

異色の動物学者の手による本書は、
1980年代の初めに話題となり、欧米で版を重ねたそうだ。

500ページ近くにおよぶ大作で、
内容的にも、生物学・遺伝学を中心に、

量子論、天体物理学、進化学、心理学、社会学、
言語学、文学・・・と、

幅広いジャンルに渡る知識と考察が展開されており、
非常に読み応えのあるものとなっている。

こんな本が、古本屋で100円で叩き売りされているのを偶然に見つけるとは、
読書好きならではの幸運であろう。

「生命潮流」とは何か。

著者の説明を引用すれば、

海水をいくら集めても、それは「潮」にはならない。
それらが集まり、動き、流れることによって、「潮」が生まれるのだ、
ということであり、

つまり生命もそれと同じで、
ひとつひとつの部分や事象を捉えただけでは、生命は理解できない。
総体というか、時間・空間を超えたシステムとして眺めることで、
初めて生命の本質が浮かび上がってくる、ということである。

これはとてつもなく壮大なストーリーであり、
生半可な知識や意欲では、とても手に負えない代物であろうが、
それを実現しているのが本書なのだ。

そのために、宇宙創生の話から、地球誕生、生命の誕生、人類への進化、
そして文化論。

そこでは、リチャード・ドーキンスの「ミーム」に対し、
「コンティンジェント・システム」という概念を提示する。

長い旅の最期は、我々の意識の問題となる。

この本が通常の科学書と異なるのはまさにこの部分で、
著者は、意識と無意識をつなぐものとしてのオカルトや超常現象に、
臆することなく向き合うのである。

著者自身の体験談として紹介されているものの中には、
若干眉唾ものも含まれてはいるが、

オカルトを、純粋な科学ではなく、かといって摩訶不思議な心霊現象などでもなく、
人間の意識や記憶の問題として捉え直すことで、

生命誕生・進化の鍵となりそうな「原型」とでも呼ぶべきものが、
朧けながら、浮かび上がってくる。

遺伝子工学を始めとして、
機能としての生命の実体はだいぶ明白になりつつあるが、

その先にある、いやその根元にあるべき「意識・無意識」の問題は、
なかなか思うように解明できていない。

だが、それも含めての生命なのであり、
生命を潮流と喩えるのであれば、

海面近くで波立つ水流だけではなく、
その下の、薄暗い海中で静かに渦を巻く部分の存在もまた、
看過すべきではないことを、本書は教えてくれるのである。