「マーラーを識る」(前島 良雄)

 

良く言えば毒にも薬にもならない、
率直にいうと、読むだけ時間の無駄だった。

書籍の帯には、いかにもマーラーの人物や音楽の本質に迫っているかのように書かれているが、
実際のところは非常に薄っぺらい内容である。

この本で述べられている要点は下記のとおり。

・マーラーの交響曲には、
(おそらく)商業的な理由から作曲者の知らないところで、
タイトル(副題)が付けられているものが多くあり、
それはまったく意味をなさないものである。

・特に、海外盤レコードのジャケットには記されていなくても、
日本国内盤だけ記されているタイトル(副題)がある。

正直言って、音楽を楽しむ側からすると、
タイトルなどどうでもいいことであって、
そんなものに目くじらを立てるのは、暇人の戯言にしか思えない。

上記のひとつめについて言えば、
作曲者の知らないところでタイトルを付けられている曲など、
マーラー以外でもいくらでもある。
(※有名なところでは「時計」「ジュピター」「運命」「皇帝」「未完成」・・枚挙に暇がない。)

一番の問題は、この著者が、
「なぜ『皇帝』はOKで、『悲劇的』がNGであるか」
をきちんと説明していないことにある。

それは上記のふたつ目とも関係するのかもしれないが、
著者の不満は、どうも「海外盤のレコードには付けられていないタイトルが国内盤には付けられている」ことにあるようなのだ。

だから、「夜の歌」(交響曲第7番)のようなものは、
国内外のレコードのジャケット画像(すべて自分が所有しているものだ、とわざわざ書いているのが嫌味っぽい)をしつこく載せて違いを強調しているが、

「千人の交響曲」(交響曲第8番)にように、
国内外ともに当たり前のようにタイトルが付けられているものについては、
実にさらっと、テンション低く通り過ぎてしまうのである。

要するに、日本のレコード会社が余計なタイトルを付けているのが気に入らない、
というのが、著者の一番の主張なようで、
そんなことは、マーラーの音楽の本質とは関係がない。

そもそもマーラーを語るのに、世紀末ウィーンの文化状況には一切触れず、
ワルターやアルマ(妻)の言っていることは信じられないだとか、
かと思えば、「~ようだ」を連発しているわりに出典を示さないなど、
正直、大学生の卒業論文よりひどいレベルである。

そして何よりも驚いたのは、
この本のamazonでの評価が軒並み高いこと。

季節外れのサクラが咲いているのだろう。