春立つや

春立つや

今年もそろそろ桜が咲く季節になった。

震災、放射能、これからくる不況、、、そんなことを考えるととても春めいた気分にはなれないが、
桜に罪はない。
人にかまわず、季節はやってくる。

春になると思い出す小林一茶の句がある。

春立つや 愚の上にまた 愚にかへる

和歌や俳句というのは、データベースの遊戯である。

ある句から連想される景色なり感覚を、如何に過去のデータベースから探ってきて、
重ね合わせるか。

情報の発信側と受信側で、データベースの共有度合が高ければ高いほど、
味わえる楽しみもまた、増えてくる。

「春立つや」と聞けば、かつて春の訪れを詠んだ先人たちの名歌・名句が浮かんでくる。

家持、貫之、業平、定家、西行・・・例外はもちろんあるが、
春の到来の歌は、大抵期待に満ちたポジティブなものとなる。

一茶のこの句は、そこを逆手にとる。

発句から想像される「ワクワク感」を、次で一気に崩すのだ。

「愚の上にまた愚にかへる」。

愚かな私が、また愚かな年をひとつ重ねてしまった、というほどの意味だろうか。
※「春立つや」とは言うまでもなく立春のことで、太陰太陽暦(旧暦)では年の初めにあたる。

春だからと言って浮かれてばかりはいられない、という戒めの感よりも、
人間は所詮愚かなもので、そんな愚かな存在にも一様に春は来る、という半ば悟りに近い感の方が
強いかもしれない。

自分なりに詠みかえるなら、

朝起きて 愚の上にまた 愚にかえる

明日こそは満足のゆく一日にできるだろうか。

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