今夜は七夕。

去年の今頃はパリにいたので、七夕のことなど考えもしなかったけれども、
今年はちょっと考えてみる。

七夕については、僕の中で素朴な疑問があって、
それは、なぜ多くの日本人は、七夕のペアのことを、
「おりひめ」と「ひこぼし」と呼ぶのか、ということ。

一方は名称までも擬人化されており(織り姫)、
一方は星の名前のまま(彦星)というのが、不思議でならないのだ。

例えば、「ひめぼし」と「ひこぼし」なら、一番すっきりする。
あるいは双方擬人化して、「おりひめ」と「うしかい」でもいい。

カップルの呼び名におけるこのアンバランスの謎を調べるべく、
まずは平安時代の事典である「和名類聚抄」をあたってみる。

「織女」の項目には、「太奈八太豆女(たなばたつめ)」とある。

これは天体の名称を列記している箇所に書かれているので、
普通名詞ではなく、「織女星」=「たなばたつめ」ということであろう。

次に、「牽牛」の項目には何と書いてあるかというと、
「またの名を何鼓(かこ)、比古保思(ひこほし)、また以奴加比保之(いぬかいほし)」とある。

「何鼓」というのは、牽牛星(アルタイル)のあるわし座の中国名である。
厳密には、牽牛星を含む明るい三星のことを指す。

問題となるのはその次の二つの呼び名であって、
「牽牛星」=「彦星」または「犬飼星」であると明記されており、
この時点で、既に擬人化されている「織女星」との違いは明らかである。

さらに万葉集にまで遡ってみる。
幸いなことに、七夕のことを詠んだ歌は、百首以上もある。

すべて調べてみたところ、例外なく、
女性の方は「たなばた」もしくは「たなばたつめ」であり、
男性の方は「ひこぼし」である。

となると、奈良時代からすでに、七夕男女の呼び方には差があったということで、
謎はますます深まるばかりだ。。。

もしかしたら、「ひこぼし」には「彦星」という漢字が当たっているが、
そうではなく、「たなばたつめ」のように、男性を表す(擬人化された)名詞という可能性はないだろうか。
(たとえば「~法師」のような・・)

だがこれも、万葉集には「比古保思」と万葉仮名で書かれている歌だけでなく、
「彦星」と明記されているものもあるので、その可能性は低いといえる。

また、中国の伝説にも牽牛を「夏彦」という名前にしているものがあり、
残念ながら謎の解決は難しそうだ。

と、結局、謎は謎のままで終わったわけだが、
実は七夕には、個人的にもう少し気になることがある。

・「枕草子」の有名な一節に、
「星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。」とあるが、
なぜ「彦星」だけが挙がっていて、「織り姫星」は書かれていないのか。
実際、「織り姫星」(ベガ)の方が、「彦星」(アルタイル)よりも断然明るい星である。

・彦星の別名である「何鼓」が三星からなることは、上で述べたが、
一方で、三星の代表的存在であるオリオン座が「参」と呼ばれていたこと、
また、「参」と「彦」の字形が似ており、誤写されたであろうことも十分に考えられることから、
「彦星」と「オリオン座(参)」が混同されていた可能性はないだろうか。

・「日本書紀」には、相撲の始まりが「垂仁七年七月七日」と書かれているが、
このことと七夕はどのように関連するのか。

・かつて鹿児島県の一部地方では、七夕の夜に、
「ネーブイ、ハナーショ」といいながら、眠りの悪魔を追い払う儀式が行われていたそうだが、
それと七夕の伝説はどのように絡むのか。

ちなみに、日本のある地方では、七夕の男女二星を、
「男棚・女棚(おんたな・めんたな)」「先棚・後棚(さきたな・あとたな)」「下棚機・上棚機(しもたなばた・かみたなばた)」
などと呼ぶこともあるらしいが、

これは、「織女」=「たなばた」という結びつきが完全に失われ、
男女二星をもって「たなばた」と呼ぶ、という意識が、
人々の間に強く根付いてしまった結果であろう。