「生贄 その4」(『今昔物語集』)

「生贄 その4」(『今昔物語集』)

4.
「自分と衣が夫婦になってからというもの、
毎日のように、この家にきて初めて目にしたのと同じようなご馳走が出てきたのには、

始めのうちは喜ばしいことでしたが、
それがひと月、ふた月と続くうちに、だんだんと始めのころの心躍りがなくなってきたのに加え、
自分の体が、みるみるうちに肥えてくるのが気になりだしました。

何度か主(あるじ)にも、そろそろこのようなご馳走は出さないでいただきたいという旨を、
失礼にならない程度に持ち出したこともあったのですが、

婿なんだから遠慮するなと、かえって以前にも増して贅沢な料理が出されるようになり、
自分の体の中を、ぎっとりとした脂が流れてゆくような感覚が、
嫌で嫌で堪らなくなりました。

もちろん衣にも相談はするのですが、
その話になると、いつも決まって泣き出すばかりです。

ところで、
衣の母親は、まだ衣が幼い頃に亡くなり、
父親はすぐに後妻をもらいました。

後妻には、犬丸という、衣より三つばかり年下の連れ子がおり、
衣は、継母とは折りが合わないものの、
この犬丸とは、まるで本当の姉弟のように仲睦まじく、助け合いながら育ってきたのです。

これは衣から聞いたのですが、まだ自分がここに来る前、
衣が継母から借りた鏡を割ってしまったことがあり、

怒り狂った継母に、目も当てられないほどに打擲されたことがあったのですが、
主も見て見ぬ振りをする中、犬丸が間に入り、

姉を叩くなら、自分を叩いてくれ、それでも駄目なら家を出る、

と涙ながらに訴えると、
さしもの継母も、可愛い我が息子の言うことだからと、
仕方なく、衣を叩く手を止めたのでした。

今年十五歳になる犬丸は、
年頃の娘ならずとも、誰もが振り向くほどの美少年で、

そんな彼が衣と仲良くしている姿は、
まるで絵巻物から出てきた姫君と若君のようであり、

たとえ血のつながりがなくとも、姉弟という関係であることが、
誰が見てももったいなく思えるような、そんな間柄でした。

そういう暮らしの中に、突然、私が婿として入り込んできたわけですから、
一家四人それぞれの胸中は、いかばかり複雑なものか、
当事者の私にも、想像すらつきません。

利害、情欲、夫婦愛、姉弟愛、、、それらのものが絡み合う蜘蛛の糸の巣の中に、
何も知らぬ私が、まんまと飛び込んできたのです。

主は、とにかく私に「食わせる」のが楽しみなようで、
そして継母はいつもその隣で、ぶくぶくと肥えながらも食べ続ける私を見て、

憐憫とも嘲笑ともいえぬ、ただそれが「笑み」であることだけは微かに分かるような、
感情のない表情を浮かべていました。

そのときの彼女の顔は、ここで思い出しても気味が悪いほどで、
今思えばあの眼の奥で、「もっと食え、もっと食え」と、そう意地悪く叫んでいたに違いありません。

果たして、私は哀れにも蜘蛛の糸に囚われた蝶なのか、
だとしたら、そんな自分を喰らう蜘蛛は誰なのか、

そんなことを考えながらも、結局は何も起こらぬまま、
あっという間に半年ばかりが過ぎていきました。

ある夜のこと、厠へ行った帰りに、母屋の方から何やら話し声がするので、
それとなく聞き耳を立ててみると、
主とその妻とが、何やら低い声で話し合っているようでした。

「とにかくよかったよかった。これで娘の身代わりが出来たというわけだ。」

「でもまだまだ足りないわ。もっと鱈腹食わせて太らせないと、
猿神様は満足しないに違いないでしょうよ。」

「そうだな、あと半年だから、いままで以上に食わせるようにしよう。」

「まるで豚のように肥えるがいいのよ。それに比べて、うちの犬丸の美しいこと。
さすがにお衣と一緒になるわけにはいかないけれども、
あれが片付いたら、お衣と犬丸の今後のことも考えないといけないね。」

そこまで聞いて、はっきりと意味は分からなかったものの、
何やら不吉な感覚を受けた自分は、

離れに戻ると、静かに寝息を立てている衣を揺り起こし、
いま聞いてきたことを話し、問い詰めました。

案の定、衣はいつものように泣き出したのですが、
今回ばかりは私が一歩も引かず、何が何でも聞き出すという強い姿勢を示したために、
とうとう衣も根負けし、真実を語り始めたのです。

「向こうの山には猿神様が住んでいらっしゃって、
先祖代々この村から、毎年一人を生贄に捧げてきたのです。

次の生贄は、この家から捧げる順番になっていまして、
私か犬丸かということになっていたのですが、

母が父を口説いた、というよりも半ば脅したような形で、
犬丸ではなく私が捧げられるということになり、

けれどもそれに不満だった父は、
私に婿を迎える形にして、その婿を生贄にしようと思い立ち、
あなたをここまで連れてきたのです。

猿神様は、人の脂がたいそうお好みということで、
それであなたに、ここまで矢鱈と食べさせているのです。」

衣はやっとそこまで語ると、耐えきれぬようにわっと泣き伏しました。

私は、そんな衣を慰めることよりも、
自分がこの計略に嵌められた悔しさと、猿神だか何だか得体の知れない神に、
皆がそこまで畏れおののく愚かさに対する怒りが先だって、
闇をじっと見つめたまま、静かに覚悟を決めたのです。

心中の決意とは裏腹に、つとめて優しい声で、

「衣よ。自分はお前を妻にすることができて、この上なく幸せに思っている。

だから今すぐにでも、お前の代わりにこの命を失うことは惜しくもなんともないが、
ただ仏を信ずる我が身を、その猿神とやらにくれてやるのは合点がゆかぬ。

幸い自分は、腕には自信がある。

半年後のその日までに準備を怠らず、
きっとこの手でその猿神とやらを、仕留めてみせようぞ。」

私はそういって、なおも伏している衣の背中を抱き寄せました。

衣はこちらに顔を向けることはありませんでしたが、
私の決心に同意してくれたであろうことは、その嗚咽の震えが微妙に変化したことで、
私の腕にははっきりと伝わってきたのです。」

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