一時期ほどではないけれど、
相変わらずホラー映画界のスターはゾンビである。

ものすごく乱暴に、
映画界のモンスター(これは「モンスター」と「スター」を掛けている)の変遷をまとめてみると、

吸血鬼

エイリアン

ゾンビ

となるのではと思っている。

なぜフランケンシュタインではないのか、プレデターではダメだったのか、
といったことを考えると、
実は、三者に共通するある特徴が見えてくる。

それは、すごく単純なのだけれど、「なりかわり」ということ。

ヴァンパイアに血を吸われた者は、ヴァンパイアの僕となり、
エイリアンに襲われたものは、エイリアンの幼生に寄生され、
ゾンビに噛まれたものは、ゾンビとなる。

つまり、被害者を一転して加害者の側にひきずりこむところに、
これらのモンスター達に特徴がある。

今まで身近にいた親しい人が、化け物になる。

この価値観の転換は、観る者にかなりの精神的ダメージを与えるわけで、
最近では、自分(主人公)がゾンビになるというテーマの映画もあるが、
それなんかは、究極の価値観チェンジだといってもいい。

しかも憎いことには、襲われてもすぐにはモンスター側にはいかず、
そこにはタイムラグがある。

もうすぐ吸血鬼になる、そろそろエイリアンを産む、明日にはゾンビになる、
その「正気と狂気」の境界線における精神的・肉体的葛藤が、
また映画の題材としてはうってつけなわけだ。

翻って、日本の妖怪や幽霊についてみると、
彼らは概ね完全に隔絶された存在で、
被害者を加害者側に引きずり込むような仕掛けは、用意されていない(例外も稀にある)。

しかも日本の場合は、どちらかという私怨とか因縁をベースにしていることが多く、
西洋モンスターのような「どこから来るか分からない恐怖」という要素も薄いといえる。

こんなことを考えたのも、ここのところウィルスについていろいろと思うところがあって、

例えば、葛西臨界水族園のマグロの大量死もおそらくウィルスが原因だろうし、
まだまだ感染者多数のエボラ出血熱など、

目に見えずに被害者を増やしていくウィルスの仕業は、
古くは黒死病と恐れられたペスト(こちらは細菌)が、
いまだに西欧文化に暗い記憶を残していることを思わせる。
(そもそも、吸血鬼伝説はペストと関連しているという説もある)

本来、ゾンビというのはブードゥー教の伝説によるもので、
(中国にも「僵尸」というのがある)
ウィルスとは無関係なのだけれども、

最近のゾンビ映画では明確にウィルスを元凶としているものもあり、
やはりモンスターとウィルスには、
恐怖の原型というか、類似性のようなものがあるのではなかろうか。

話は変わるけれど、イスラム国と呼ばれる人たちが、
他のテロ集団などと比べて異質だと思われるのは、
日本も含めた先進国に同調者を生じさせ、自らの組織に取り込んでいること。

その意味では、かつてのオウム真理教もそうだった。

単に「こちら側」を攻撃するだけではなく、
「こちら側」の人間を、「あちら側」の人間に取り込むというのは、
まさに、ここで述べているようなゾンビ的手法なのであり、
「こちら側」の人間としては、そこに底知れぬ嫌悪感・恐怖感が生じるのである。