文学

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「歌麿の世界」(渋井 清)

北斎のように色々な逸話が残っているケースは稀で、 江戸の絵師なんてものは身分がかなり低かったため、 生前の記録のようなものはほとんど残されていない。 美人の大首絵では右にでるものはいない喜多川歌麿の、 分かる範囲での人生の軌跡と代表作をまとめたのがこの本。 北斎や写楽とも違って、ひたすらに女性を描き、その美を追求しつづけたというのは、 世界の美術史から見ても、珍しい存在かもしれない。 西洋にはヴィ […]

「古典遊歴」(前田 速夫)

副題は、「見失われた異空間(トポス)を尋ねて」。 イザナキの黄泉の国行きから始まり、日本の古典文学はまさに異空間(トポス)から出来ているといってもいい。 異空間というと大袈裟かもしれないが、要するに日常と違う空間(場所)だと思えばいい。 歌枕はまさにトポスそのものであり、だからこそ実方が「歌枕見てまいれ」と帝から言われたことがそのまま流刑を意味するのであり、 西行や芭蕉といった隠者が、歌枕にこだわ […]

「日本詩歌集 古典編」(山本健吉編)

上代から江戸時代までの、短歌・長歌・俳句・漢詩・童謡などを集めたアンソロジー。 わが国の文化における韻文の重要性について、あらためて感じさせてくれる。 この手の本だと、歌人や内容に偏りがあるものが多いのだけれども、 む、こんなものまで、と思えるほど、この本の網羅性はすばらしい。 事務所の近くの古本屋で800円で買ったのだが、 amazonで調べたら中古で18,000円も値が付いていて、少し驚いた。

「円仁 唐代中国への旅」(エドウィン・O・ライシャワー)

かのライシャワーによる50年前の著作である。 慈覚大師こと円仁は、実は日本で最初に「大師」を名乗ることを許された人物なのだけれども、 その師である最澄、そして空海という偉大な二巨頭の陰にあって、 一般の知名度はそれほど高くはない。 しかしながら彼の手になる「入唐求法巡礼行記」は、仏教上の価値はもちろん、文化的・歴史的な意義の高いものであり、 それはこの本の冒頭で、ライシャワーがくどいまでに「東方見 […]

「現古辞典」(古橋 信孝 他編)

例文として、「日本書記」と江戸の戯作が一緒に並ぶなど、 構成にもうひと工夫欲しいとは思ったが、現代語からそれに対応する古語が引ける(つまり「逆引き」古語辞典)というのは、面白い試みだと思う。 それにしてもあらためて思うことは、日本の古語においては、主観を表す単語が豊富だということである。 例えば、現代語の「怖い」に対応する古語として、この本では以下の古語を挙げている。 かしこし、ゆゆし、おずし、お […]

「今昔物語集と日本の神と仏」(小峰 和明)

古代の説話を読むと、かつての日本人はいかに宗教と共にあったのかが、よくわかる。 「日本霊異記」は仏教説話集そのものだし、古代説話の集大成ともいえる「古事記」は神話がその根幹をなすものだし、そしてこの「今昔物語集」も神仏の霊力を民衆に知らしめることが主たる目的の一つであったことは、疑いがない。 日本人の宗教心が希薄になった(少なくともそのように見えるようになった)のは、寺社を徹底管理し、儒教を教育の […]

「古代中国思想ノート」(長尾 龍一)

日本人の大部分は、古代中国思想のうち「孔子」しか知らずにいるのだけれども、 実は荀子、墨子、荘子辺りは、かなり面白い。 入門書という位置づけではなく、内容もかなり偏っている気はするけれども、古代中国思想を「なんとなく概観」するにはちょうどよいボリュームかもしれない。 それにしても、今の中国の状況から、かつてあの国にこんなに思想家たちがいたなんてことは、ちょっと想像がつかない。 この本にも触れられて […]

「墨子よみがえる」(半藤 一利)

他の国ではいざ知らず少なくとも日本においては、中国の思想といえば「儒教」(特に孔子)の一点張りで、中学の漢文の授業といえばまずは論語を暗記することから始まるわけで、 これは良くも悪しくも徳川幕府による教育(統治)政策の名残なわけだが、ただ、老子、荘子、韓非子、荀子といった歴史を生き抜いてきた思想たちに、もっと触れる機会があってもよいのではなかろうか。 「墨子」の特徴は徹底した非戦論、平和主義。 戦 […]

「江戸の思い出」(岡本綺堂)

岡本綺堂は1872年の生まれだから、夏目漱石とほぼ同年である。 漱石や鴎外が、「文豪」として教科書でも取り上げられるのに対し、綺堂のような作家が、 メジャーになることは、まずない。 でも僕は、綺堂が大好きだ。 僕の綺堂熱は「半七」から始まったのだけれども、小説だけではなく、その随筆もまた、味わい深い。 この「江戸の思い出」に収められた随筆は、どれも傑作ばかりで、江戸から明治・大正にかけた、日本史上 […]

「百頭女」(マックス・エルンスト)

シュールレアリスムという意味では記念碑的な作品なのだろうけど、純粋な(この言葉は微妙だが)美術作品としては、どうだろう、二流作品なのではないか。 言うまでもなく、先人ゴヤの偉大なる「カプリチョス」がベースにあるのだが、その呪縛たるや、さすがのM・エルンストでも逃れられないぐらい強大だったに違いない。 「百頭女」を見た後に、無性にゴヤが恋しくなった。

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