「ちんちん千鳥のなく声は」(山口仲美)
古代から現代までの日本文学・詩歌に登場する鳥の鳴き声の紹介を中心に、
鳥の名前の由来についても書いてある。

鳥名の方は、国語的に??な箇所もあるので触れないけれど、
鳥声の方については興味深く読めた。

古代にテープレコーダーがあったわけではなし、
古典に登場する擬音語だけをたよりに鳥声について語るのは、
心もとない反面、想像力が自由にできるという利点もある。

ただ個人的に思うことは、
現代人の博物学的な視点でもって、
古代人の感性に近づこうとしてはダメだということ。

時鳥(ホトトギス)といえば花鳥風月の代表ともいえる鳥であるけれど、
古代人の呼ぶ「ホトトギス」が、
すべて分類学的に同じ鳥を指していたという保証はない。

初夏の明け方に、なんとも寂しい声で鳴く鳥は、
すべて「ホトトギス」と呼ばれていた可能性もある。

だから有名な、「松虫⇔鈴虫論争」というのも、
古代人からしてみればどうでもよいことのはずで、
鈴のような音で鳴いていればそれは「鈴虫」でよかったのである。

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