「好色五人女」(井原 西鶴)

 

年が明けてからというもの、
読書記事ばかり続いているような気もするのが、

あまり記事のジャンルを偏らせたくないという、
そもそもの目論見からするとあまり嬉しくはないのだけれど、

まぁ、書くことが何もないよりはマシである。
それに今年は「更なる読書」が目的でもあった。

西鶴は読むのは実に久しぶりである。

近松は学生時代からよく読んでいたけれど、
西鶴は、理知的すぎるというか、悪く言えば気取っているというか、

近松のあの、いかにも浄瑠璃的な、
情念がまとわりつくようなウェットさに対し、
西鶴のドライな感覚が、昔はどうも受け付けなかったのだろう。

でも自分もおっさんになって、
そろそろ西鶴ぐらいは読み直さないと、、
と思ってまず手に取ったのが、この「五人女」。

(パソコンで「公職誤認女」、などと誤変換されると、
それはそれで何やらいかがわしい。)

日本版カルメンやトスカのような、恋に生きた五人の女を描いた話で、
解説などではよく、西鶴による体制批判、とも書かれるのだが、
僕はその説にはあまり賛同したくはなく、

これはあくまでも、
個人における理性と人情の狭間で起きた悲劇を描いたもので、
それを社会問題にまで結び付けて読むのは、
あまりにも近代文学的な解釈であろう。

要するにこの作品はきわめて浄瑠璃的な作品なのであって、
「五人女」というのが、浄瑠璃の五段構成を意識したという説には、
素直に納得できる。

男女の恋だけではなく、
そこに男色(当時は普通であった)も織り交ぜて、
読んでる方が息苦しくなるような、情念の世界である。

その「ソフト」を、道行、品定め、
といった古典お決まりの「ハード」や修辞に乗せることで、
そこそこ読み応えのある作品となっている。