「山月記・李陵」(中島 敦)

 

久しぶりに小説でも読もうと思って、
「本能的に」選んだのが中島敦だった。

思えば中学2~3年の頃、
文学少年だった自分は、

当時開成中学で漢文を教えていたH先生に声を掛けられ、
文芸部なるものを作り、

H先生に題材として提示されたのが、
中島敦の「山月記」と「悟浄出世」だった。

まだ少年の頃ゆえ、いくら文学作品が好きだったとは言っても、
海外文学ではヘッセとかトーマス・マンとか、
日本文学では川端康成とか坂口安吾とか、

どちらかといえば、「カラー色の強い」作家・作品を好んでいたので、
中島敦のような「モノクロ調」の作品はどうしても好きになれず、

そのうち僕も高校1年で退学し、中島敦からも遠ざかっていた。

けれど大人になるにつれて、だんだんとこの作家の良さが分かるようになり、
何かのタイミングで、ポツポツと作品を拾い読みしていたのだけれど、

彼の没年齢をひとまわりも上回ったこの歳になって、
なぜかじっくりと読みたくなり、この作品集を手にしてみた。

彼の作品には、まるで正反対に見える二つの特徴、
すなわち、漢文学をベースとしたものと、南洋での生活を題材としたものとがある。

前者については、格調高い文章とぎりぎりまで研ぎ澄まされた精神分析が顕著であり、
後者には、前者と同じ作家になるものとは思えないような、
まるで異質な文章の「巧さ」がある。

例えば「環礁」の中の「夾竹桃の家の女」という一篇、
彼にとっては珍しく背徳的というか、官能的な雰囲気のある作品なのだが、

南洋の浅黒い肌をもつ女の色気を思い起こす場面で、スコールに襲われたとき、

「太い白い雨脚を見ながら、銀竹という言葉を思い浮かべた」

というセンテンスが、何気なく出てくる。

作者にそのつもりがあったかどうかは分からないが、
南洋のむんとした熱気の中で出会った浅黒い肌の女のイメージと、

「太い白い雨脚」「銀竹」ということばのイメージとが、
実に見事な絵画的なコントラストをなしているのだ。

また例えば「牛人」のおける、あの恐ろしい従者の顔を、

「真っ黒な原始の混沌に根を生やした一個のもの」

と描くあたりも、30代前半でこの世を去った作家とは思えないほど、
熟練した表現であると思う。

とにかく、読めば読むほど味わい深いという意味で、
漱石の作品と通じるところがあるように感じるのは、
やはり両者に漢文学の素養があることによるのだろう。

中島敦の作品は、おそらくこの先、何度も読むことがあると思うし、
そのたびに違った発見があるに違いない。

そういう意味では、
まだ何も分からぬ少年時代の自分にこの作家の作品を与えてくれた、
H先生には感謝したい。