中世日記紀行集

佐野のわたり、といえば有名な歌枕で、『万葉集』の

苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 佐野の渡りに 家もあらなくに

をベースとして、例えば定家による、

駒止めて 袖打ち払う 陰もなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ

は『新古今和歌集』中の名歌としてよく知られている。

宗碩のこの紀行文も明らかにそれを意識しており、

三輪が崎へ行くほど、雨俄かに降りきぬ。
かの万葉の古言ただ今のように思ひ出られて、
「雨宿りを」など人々言ひしも、
「いづこにか家もあらん」と、濡れ濡れ行過ぎるに、
飽かぬ心地して、返す返す「佐野のわたりに」などうち吟じつつ、

とあるのは、

実際にこのような状況であったか疑わしくなるほど、
元の歌を取り込んだ記述となっている。

さて、これで長々と続けてきた、
新日本古典文学大系の『中世日記紀行集』の紹介も終わりである。

古くはヤマトタケルの伝承に始まり、
平安初期の『土佐日記』『更級日記』や、
これら中世の日記・紀行文を経て、

江戸期の浄瑠璃において「道行」として完成する、
「漂泊する魂」とでもいうべき日本文学の一つの流れについて、
少しは体感できたかな、と思っている。