伊丹 十三 著、「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫
どこかで誰かが、
「これを読まなければエッセイは語れない」
みたいなことを言っていたので、
読んでみた。

伊丹十三といえば、
1974年生まれの僕でも、

かろうじて「『マルサの女』の監督」、
というイメージしかないのだが、

デザイナーであり、イラストレーターであり、
俳優であり、映画監督であり、
そしてエッセイストであり、、、

といった、
一流のマルチ・タレントだったそうで、

そんな彼が、日本人俳優として、
複数のヨーロッパ映画に出演した際の、

渡欧事情をまとめたのが、
本作である。

テーマとしては、
映画、ファッション、料理、酒、
車、美術、音楽、
など多岐に渡り、

西欧からみた日本文化についても、
かなり鋭い視点で切り込んでいるが、

文体は軽妙にしてセンス十分で、
嫌味がまるでない。

渡欧したのは1960年代ということだが、
いま読んでも古臭いといった印象もなく、
素直に楽しめる佳作だと思う。

たとえば、こんな箇所、

サン・ローランは、一着の服を作るのに、
多い時には二十六回仮縫したそうだ。
そうかねえ、二十六回ねえ。
どこをどう直すのか知らんが偉いもんだよ、これは。
二十六回という回数が偉いんじゃないよ。
二十何回も修正して、
まだ欠点を見つけ出せる目の厳しさ、
イメージの確かさ。
これは、やっぱり世界の超一流だよ。

とか、
海外で一緒になった日本の政治家を描写して、

「みなさん、私の手を見てください。
日米親善に尽くしてきた手です。」
というから何のことかと思うと
「私はこの手でアイゼンハワーと握手してきました」
とくるね。
この無恥。この無内容。
わたくしが、日本人であることを、
つくづく後ろめたく思うのは、
こういう人物と同席するときである。
一体「政治家は、先ず、
優れた歴史家でなくてはならない」
というようなことが、
現実に通用し始めるのはいつのことであろうか。

なんてのを読むと、
ニヤニヤというか、脳内がスカッとするような、

それこそ本著で描かれた南ヨーロッパの、
色彩豊かな空間を「ジャギュア」でスッ飛ばしたような、

そんな快感が得られるのである。

それにしても、
「政治家は、先ず、優れた歴史家でなくてはならない」
というのは、

著者の存命中にはかなわなかったばかりか、
いまだに実現する見込みはないようだ。