百人一首替へ歌(No.20)

百人一首替へ歌(No.20)

第三十九番歌

【原歌】
浅茅生の小野の篠原忍ぶれど
あまりてなどか人の恋しき
(参議等)

【替へ歌】
すれ違う人もなき小野の篠原に
浅茅を友と慕ひけるかな

原歌にある「小野」について、
多くの注釈書では、「小さな野」と、
普通名詞として解釈するのだが、

僕としてはやはり、
『伊勢物語』や『源氏物語』に描かれた、
人里離れた寂しい土地としての「小野」(固有名詞)
と捉えたい。

詠者である源等の時代には、
まだ小野という土地に、
そのようなイメージはなかったのかもしれないが、

現代の我々の解釈であるならば、
「小野」を地名とすることも許されよう。

「小野」をそのようなイメージで捉えると、
「浅茅が生えている小野の篠原」という序詞が、

単に同音関係で「忍ぶ」につながるだけではなく、
多重の物語を含んだ強烈な印象として、
提示されることになる。

その寂しい篠原のイメージと、
忍んではいるけれど狂おしい恋の情熱とが、
見事なコントラストをなす名歌であろう。

このような名歌に正面から挑むのも失礼である。

よって替へ歌からは恋の要素をマイナスし、
「小野」のイメージを強調するだけの、
控えめな歌とした。

第四十番歌

【原歌】
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで
(平兼盛)

【替へ歌】
忍ぶれど出でぬる色こそうれしけれ
恋のしるしと君や知るらむ

前の三十九番歌同様、
「忍ぶ恋」をテーマにしているが、

よく知られているとおりこの歌は、
この次の四十一番歌と、
実際の歌合せで優劣を競った歌であり、

いずれも心に秘めた恋を詠んだ、
名歌中の名歌であろう。

ただ、この四十番と四十一番ではなく、
三十九番と四十番とを「忍ぶ恋セット」としたのは、

百人一首撰者である定家の、
心憎い演出なのではなかろうか。

さて、原歌が、
隠してはいたけれども、
恋に悩む様子が顔色に出てしまった、
という状況を詠んでいるのに対し、

替へ歌の方は、
恋をしていることがバレてしまったが、
それはそれで嬉しい、
(なぜなら)これこそ恋の証拠だと、
あの人も分かってくれるだろうか、
としたわけで、

古典の世界での、「忍ぶ恋」=苦しい、
という常識とは逆に、

現代での、
むしろ恋がバレたのが嬉しいという、
そんな気持ちを表現したつもりである。

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