diary 2017/12

2017年12月15日(金)
歳を重ねるにつれて、
年末年始の浮足立った感覚というのは薄れてゆくもんだな。
自分が変わったのか、世の中が変わったのか。
春やむかしの春ならぬ。

2017年12月14日(木)
ここ最近、新宿は自分の生活圏から離れていたのだが、
今日久々に歩くことになり、ついつい紀伊國屋へ。
新刊コーナーに足を運ぶと、パッと見、欲しい本が7~8冊はあるではないか。
うーーん、こないだ丸善でまとめ買いしたときには、こんなんなかったぞ、、
と思いながら、さすがに全部は無理なので厳選2冊のみお買い上げ。
今月はもう本屋に近寄らないようにしなくては。

2017年12月13日(水)
あまりに読書に夢中になりすぎると、
物事を考える時間が減り、書くことが何もなくなる。
インプットとアウトプットのバランスに気を付けよう。

2017年12月12日(火)
仕事に疲れて若干帰宅が遅くなった日でも、
近所の学習塾にまだたくさん自転車が残されているのをみると、
日本の未来も捨てたものではないな、と思えてくる。
だから、こういう子たちを犠牲にする戦争だけは、絶対いかん。

2017年12月11日(月)
①「寒いから冬である」のか、②「冬であるから寒い」のか、
という単純な問いかけは、一見明らかに②が正しいように思うけれど、
考えてみれば、「寒いこと」は「冬であること」の必要条件でも十分条件でもない。
よって、①も②も正しくない。
こういう直感に反した誤判断が、日常にゴロゴロしていそうで怖い。

2017年12月10日(日)
12月は何かと酒代もかかるのに、
思わず3ヵ月分(自分比)の本を買ってしまい、
自分の中では、本>酒だということを実感した。

2017年12月9日(土)
店で会計を終えたあと、店員さんが次の客に、
「お待たせいたしました」と言っているのを聞くと、
何だか自分が待たせていたのかも、いやそんなことはないわさ、
という複雑な気持ちになる。

2017年12月8日(金)
実は秘かに、数学をリタイアしようかと考えていたのだけれど、
ちょうど今日、前回の数検の結果が郵送されてきて、
もう一度奮起することにした。
自分が落ちた準1級の2次は、平均点が1.1点で合格率11%だったらしい。
ちなみに自分は1.4点。

2017年12月7日(木)
三味線には、ヴァイオリン族でいう「ポジション」の概念がない。
何故ないかというと、基本的には人差し指で取りにいくから。
要するに、ツボの分だけポジションがある。
よってそれはもはやポジションではない。

2017年12月6日(水)
なぜか急に「スペクター」が観たくなって、
夜中にツタヤに駆け込んだ。
途中まで観るつもりが、最後まで見てしまい。

2017年12月5日(火)
ウマかろうがマズかろうが、
基本的に蕎麦屋の蕎麦は割高だと思う。

2017年12月4日(月)
「ルジャンドルの定理」というと、何だか難しく聞こえるけれど、
慣れればどうということはない。
というかむしろラッキー問題になる。

2017年12月3日(日)
昨日初めて、鰤しゃぶと栃尾揚げを食べた@高田馬場。
どちらも、こんなに旨いものがあったのかと思えるほどで、
とにかく酒に合う(これが大事)。

2017年12月2日(土)
ピアノを弾く指腕の力、という意味では、
明らかに右手が衰えたような気がするのは、
左手は弦楽器でそれなりに鍛えられているせいだろうか。

2017年12月1日(金)
いまのマンションに住んで恒例になったが、
隣接の部屋からクリスマス曲を弾くのが聴こえてくると、
あぁ今年もそんな季節か、と思えてくる。

「ミュオグラフィ」(田中 宏幸 大城 道則)

「ミュオグラフィ」(田中 宏幸 大城 道則)
ピラミッド云々、という副題を見ると、
なんだかオカルト関連の本っぽく感じるけれど、
マジメな科学の本である。

光子(フォトン)が描く像を「フォトグラフィ」と呼ぶのと同様、
ミュオンが描く像のことを「ミュオグラフィ」という。

ミュオンは、宇宙から降り注ぐ宇宙線が、
地球の大気に触れる際に生じる素粒子であり、
我々の体も、一日に何百万というミュオンが通過している。

ただ、ミュオンは物体の密度により、
通過できる・できないという性質があり、

それを利用することで、目視することができない建造物内部の構造などを、
描くことができるというわけだ。

そのミュオンを用いた観測が初めて行われたのが、
エジプト三大ピラミッドのひとつ、カフラー王のピラミッドであり、

それ以降数十年の間に、火山の内部や、
最近では福島原発の炉心の様子など、
まさに科学の最前線の新手法として、ミュオグラフィは用いられてきたという。

「見えないものを見えるようにする」という意味では、
かの有名な、レントゲンによる手の透過映像と同じぐらいの価値があると言っても過言ではないだろう。

そしてまさに原点回帰ともいうべく、
クフ王のピラミッドのミュオグラフィ観測が2016年から始まったとのことだ。

成果については、ちょくちょくニュースで目にしたような気もするが、
まだ我々一般人が驚愕するような事実が見つかったわけでもない。

けれど、たとえクフ王のピラミッドが空振りに終わったとしても、
他の様々な遺跡の内部や、あるいは太陽系を横切る彗星の内部など、
ミュオグラフィが適用できる対象は無限にある。

いつかは、誰もが驚くような大発見を成し得ることを期待したい。

映画「ドッグ・イート・ドッグ」

 映画「ドッグ・イート・ドッグ」

“Dog eat dog”というのは慣用的表現で、
「共食い」というような意味らしいのだけれど、

マジメに英語を勉強した人にとっては、
なぜ”eat”が”eats”(三単現のs付き)にならないのか、
不思議に思われるかもしれません。

一応、元・塾講師の立場から解説すると、
ここで使われる「dog」は、複数形ではないものの、

“a”や”the”という冠詞も付いていない、
つまり「犬というものは」という一般的な説明をするものであって、

いわゆる普通名詞とは異なり、だから動詞にも”s”が付かない、
ということだ(ったような気がする)。

ちなみにもう時効だから言うけれど、
かつて自分は富裕層相手の個人指導の塾の講師で、

プロ野球某球団の現役監督の息子さんや、故・元首相のお孫さん、
某有名男性アイドル事務所のメンバーさんとかを教えたことがあるわけだが、

今から思えば、そういう子たちにこそ、

Dog eat dog

と教えてあげればよかったかな。

だがそれももう、20年以上の前の話だ。
彼らが良き大人にになっていることを願おう。

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
おっと、危うく終わりにするところだった。
でもって、この映画の話。

一言でいえば、クソ。

しかもただのクソではなく、
道端にさりげなく落ちていて、思わず踏んでしまい、

Sh●t!

と叫びたくなるような、ハエだらけのクソだな。

ウィレム・デフォー&ニコラス・ケイジという、
お気に入りに俳優二人が出てるので観たのだけれど、
胸糞悪かっただけで、何の感想もない。

ただ一言絞り出すならば、
最近こういう映画が増えてきたのは、
アメリカ社会も相当病んできてるんじゃないの、というぐらい。

適正価格:53円(劇場換算)

酔鯨 特別純米酒

 酔鯨 特別純米酒

えー、最近ダイエットを始めまして。

今年は体の各パーツにボロが出始めまして、
幸い大事には至っていないものの、

診察してもらった各科の医者から揃って、
「痩せろ」と言われ。

自分の体のことは自分が一番良く分かっているつもりで、
どうやら米を食べるとよくないらしい。

以前、全く炭水化物を摂らない生活をしていたときがあって、
そのときは驚くぐらい痩せた。

あとは、酒を減らしたとき。

でもね、そんな生活はもう無理なんですよ。無理!

ということで、とりあえずは夕食だけ「炭水化物&肉を断つ」ことした。

まだ開始して2週間も経っていないのだけれど、
何となく体が締まってきた気がするし、
そして何と言っても・・・酒が旨い!

日本酒は(当たり前だが)米から作られるわけで、
元はといえば、炭水化物。

例えばワインであれば、所詮ブドウなので、
パンでもパスタでも食べればよいのだろうけれど、

日本酒は米なので、その上にさらに米を食すのは、
酒にとっても食事にとってもよろしくない。

なので、食事はできるだけ淡白にして、
酒でもって米の有難みを味わう、そうしようと決めたわけです。

最近だんだんと、日本酒のストライクゾーンが狭くなりつつあるのだが、
こういう食生活に変えると、ますます狭くなり、
でもそれはそれで、こだわりが出てきたということでよしとしよう。

ということで、「酔鯨 特別純米酒」。
いわずと知れた土佐の銘酒。

土佐鶴といい、この酔鯨といい、
そして、鰹、クジラ、ウツボの煮こごり、
僕の中での高知は良いイメージしかないが、
最近飲んだ中ではオススメの酒。

最近、「オススメの酒」とか言われて、
甘い酒を出されるのは、どうもよろしくない。

やはり酒というのは、キリッと締まって、
飲んだ後もいつまでも口の中に余韻を残さずに、
スッと消えていく・・・

要するに、最初の主張は大事だけれど、
引き際も潔くしてほしい。

この「酔鯨 特別純米酒」はまさにそんな酒で、
ファーストタッチは割と個性が強めなのだけれど、

口に含むと、まるで違う飲み物であるかのように、
さっぱりと消えてゆく。

うーん、やはりこういう酒が奥ゆかしいと思う今日この頃。

(でもこの記事はスコッチを飲みながら書いているので、イマイチ信用できないかもしれません)

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「中央アジア史概説」(ウェ・バルトリド)

「中央アジア史概説」(ウェ・バルトリド)
学校で習う世界史というのは、
欧米や中国がメインで、

ユーラシア大陸の大部分を占める、
中央アジア(トルキスタン)については、
詳しく触れられることはない。

それでも、例えば『李陵』などに描かれるごとく、
歴代の中国王朝にとって、異民族対策は最重要だったわけで、

古くは匈奴や大月氏に始まり、
突厥、クチャ、ウイグル、西遼、ペルシア各王朝、ホラズム、モンゴル、ティムールなど、
数多くの民族や国家の興亡が繰り広げられたのも、
この地であった。

地理的にはヨーロッパと中国を結ぶ重要エリアなわけで、
航路の発達に伴い陸路は廃れたとはいえ、

現代においても、ロシアや中国といった大国と境をなすこの地域が、
政治的、文化的に興味深い場所であることは間違いない。

というわけで、いつか中央アジアの歴史をじっくりと学んでみたいと思っているのだが、
まずは概要的なものを一冊読もうと思い、
いろいろと探した挙句に辿り着いたのがこの本だ。

わずか100ページほどの薄い文庫本ではあるが、
まるで著者自身が目にしてきたかのように、
中央アジアの歴史・地理が鮮やかに描かれている。

オアシスの定住民や砂漠を駆ける騎馬民族の姿が、
今にも目に浮かびそうなほどである。

概説とはいっても、かなり細かい部分もあり、
専門家ではない自分には分かりづらいところも多々あったけれど、

参考文献も豊富に掲載されているため、
入門書としてはこの上ないものとなっている。

映画「ジーサンズ はじめての強盗」

 映画「ジーサンズ はじめての強盗」

ここまでバカげた邦題だと、逆に許せるな・・・。
最初見たとき、「ジーサンズ」って何かと思ったわ(笑)。

ちなみに原題は、「Going in style」。

長年企業に尽くしてきた老人が年金をもらえなくなって困窮するという、
ハリウッド映画では珍しい題材で、
我が国も他人事とは思えないネタ。

ただ本作品はコメディなので、それほど深刻に描かれるわけではなく、
3人の「爺さんズ」が思いついた解決策は、
銀行強盗で年金分を奪う、というもの。

ただ、数日前に観たばかりなのに、
イマイチ経過も、そして結果すらもよく思い出せないというのは、
まぁそのレベルの映画だったということだろう。

3人の名優が演技を楽しむために撮られたような作品で、
それを楽しめるぐらいの、心と時間のゆとりがある人であればどうぞ、という感じだが、
それでも強くはオススメできない。

どうせコメディにするなら、もっと振り切ってほしかったかな。
全体的に中途半端で消化不良。

適正価格(劇場換算):980円

映画「アトラクション 制圧」

 映画「アトラクション 制圧」

珍しいロシアのSF映画ということで観たのだが、
内容的にはどーしようもない作品だった。

宇宙船がモスクワ近郊に墜落し、
周囲には戒厳令が布かれ、中からは宇宙人が出てきて、
人間と接触し・・

とまぁ、お決まりのパターンなのだけれど、
一番失敗なのは、宇宙人が人間と全く同じ見た目だったということ(ただし、イケメン)。

どうやら地球人と祖先は同じという設定らしく、

「国籍や人種の違いと同じで、生まれた星が違っても仲良くできるさ!」

的なメッセージを読み取れなくもないのだが、
B級SFにそんなもん期待してないから。

しかも主人公の女性とイケメン宇宙人とが恋に落ちるという、
あーもう一番やってはいけない典型。

敢えて良かった点を探すとすれば、
ロシアな寒々しい感じが画面から伝わってきたこと。
(決して内容がお寒いから、というわけではない)

あと、好戦的ではない宇宙人というのは、ネタとしては「アリ」だと思っていて、
ただここでは、料理の仕方を大幅にミスってしまったというところか。

シラフでは観ないようにしましょう。

適正価格(劇場換算):538円

ピアノ練習メモ

ピアノが届いてから3週間ほど経った。

リハビリとして採用したバッハの「フランス組曲」の第3番。

アルマンドはほぼOKかな。
息の長い流れるような旋律が、弾いていてとても心地よい。
16分の合間に現われる、符点8分に適度に装飾を施す。

クーラントは、和音が多くて苦手なタイプな曲。
たぶんハープシコードだとあまり意識しないのだろうけれど、
ピアノだと、何というか鳴らしづらいというか、
要するにそこが未熟なんだろうけど、地道に練習するしかない。

サラバンドは、静かな進行の中で微妙に調性を変えていって緊張を高めていく。
テンポスローなので、まぁこれも弾くだけなら何とかなる。

んでもって、今日は無理やり次の「Anglaise」に入った。
アングレーズ??ググってもお菓子の名前しか出てこないのだけれど、
メヌエットでもなく、ガヴォット的な何かなのかしら・・。
特に前半が、譜面の見た目以上に弾きづらく、慣れるまでちょっと時間を要しそう。

とりあえず年内に、なんとか3番の全曲を弾いて、
正月明けぐらいから、いよいよ本命の曲に入れるようにしたい。

「性食考」(赤坂 憲雄)

「性食考」(赤坂 憲雄)
古今東西の文学作品や神話、民話などから、
「性」「食」「生」「死」についてのネタを洗い出し、

それらを重ね合わせることで、
主に「性」と「食」に共通する人間にとっての根源的な「何か」を考察する本。

目の付け所は面白いし、
この巨大なテーマに立ち向かうのはさすが、と思うけれども、

一冊を通じて、断片的なエピソードの紹介に終始している感が強く、
「論考」としての出来映えはいまひとつといった印象である。

この本に限ったことではないが、
「民話」というのはネタ探しにはもってこいではあるけれど、

逆に言えば、どんなテーマであっても、
世界の民話を探せば、
何かしらその「原型」になりそうなものは見つかるはずで、

だから僕は、民話に遡って、そこに根拠を求めるような論考は信用しない。
ある意味、「死人に口なし」だからだ。

特に「性」や「食」といった広いテーマであれば、

民話に限らず、日本文学に限定しただけでも、
それなりのこじつけはできるわけであって、

んー、心意気は認めるけれど、ちょっと敵が強すぎた、、という感じなのかな。

ただ、ここで紹介されていたレヴィ=ストロースの、

料理とは自然を加工するもので、
消化とは料理を再び自然に戻すものだ

という考えについては、なるほどと思った。

diary 2017/11

2017年11月30日(木)
12月は1年のバッファみたいなもんだから、
実質今日で今年も終わりだな。

2017年11月29日(水)
「臭い」と書かれたときに、「におい」なのか「くさい」なのか、
同じく「辛い」は、「つらい」なのか「からい」なのか。
「細い」と「細かい」、「苦い」と「苦しい」は送り仮名で判別できるが、
「におい」には「匂い」という書き方もあったりして、
日本語と漢字の在り方を考えるにはちょうどよい題材でもある。

2017年11月28日(火)
本はamazonで買う、というのも悪くはないが、
行きつけの本屋とはまた別の、普段行かないような本屋にふらっと入ることで、
新しい発見というか、刺激がたくさんある。
そしてもちろん、財布の紐も緩む。

2017年11月27日(月)
間違えて1リットル用のティーパックを、
その半分の容量の水筒に入れてしまい、とにかく苦かった・・・。
「苦」という漢字が「草かんむり」であることを何となく納得した。

2017年11月26日(日)
先週のピアノに続いて、今日は冷蔵庫が到着。
こんなサイズは初めてなので、
憧れの(?)ビールの買い置きというのをしてみるつもり。

2017年11月25日(土)
今日はクーラントを重点的に。
バッハを弾く場合、意識しなくても左手の旋律が聴こえるようになってきたら、
自分的には前進した目安になる。

2017年11月24日(金)
今日も声の調子がよろしくない。
まぁ酒の飲み過ぎというのもあるのだろうが。

2017年11月23日(木)
ピアノとチェロでクラシックを、
三味線で民謡を弾き、
義太夫節を語る。
やりすぎじゃないの?と言われるけど、
プロになるわけじゃないので、これが僕のmusic life。
問題なのは、音楽以外にも、美術、数学、読書、、、と趣味が多いこと。

2017年11月22日(水)
今日は久々に仕事でぐったり。
晩飯食べてチェロ弾いて、気付いたら布団の中で、まもなく朝7時。
このまま起きているべきか、再度寝るべきか。

2017年11月21日(火)
ついに老眼鏡デビュー。
「reading glass」なんていうカッコイイ呼び方もあるらしいけど。
ブルーライトもカットしてくるし、
読書だけではなくPC作業もラクになった気がする。

2017年11月20日(月)
徳利で頼むと四合なんてあっという間なわけだが、
四合瓶を目にすると、ちょっと罪悪感が出てくる。
ワイン一本の方が金額は高いのに、まだ自分が許せる。

2017年11月19日(日)
回転寿司の楽しみというのは、
酒をちびりながら、狙ったネタが流れてくるのを眼光鋭く待つことであって、
多くの人のように、お茶をガブガブしながら食べるのは、
ちょっと違うと思う。

2017年11月18日(土)
2ヵ月ごとの呼吸器科の検診を受けて、お薬を減らしましょう、
となったばかりなのに、
見計らったように咳が出始めるとは・・・。
でも、それも含めて自分の体だから仕方ない。

2017年11月17日(金)
まさかの1ドル=112円を切りそうな勢いとは・・。
見守りましょう。

2017年11月16日(木)
やはりというか、予想通りというか、数検準1級は、1次合格・2次不合格だった。
両方とも不合格なら潔く諦めもつくが、こういう中途半端な状態なのが一番困る。
次の試験の4月まで間が空くのと、2次試験は総合力を問われるため対策が難しい、
というのが当面の問題。

2017年11月15日(水)
当ブログの中でやたらとPV数を稼いでいる記事があって、
それは映画「ジュピター20XX」についてのもの。
どちらかと言えばマイナーな映画だし、
自分の文章も、別に取り立てて面白いわけではない。
確かに検索結果上位に出てくるのではあるが、
それにしても、???である。

2017年11月14日(火)
昨夜から喉の違和感があったので、今朝は風邪薬を飲んだのだけれど、
朝の打ち合わせから眠くて仕方がなかった。
特に昼食後の電車での移動中は、
読書しながら意識は本ではなく、遠くのどこかへ飛んでいた。

2017年11月13日(月)
自販機で親子丼の食券を買って、
何となく高いのな、、と思ったらうどん付きのセットだった。
高いお金を出して、しかも必要以上に食べざるを得ないという罪悪感。

2017年11月12日(日)
目覚まし時計として、スマホのアラームを3回セットしているのだが、
1回目が鳴って目が覚めてから、3回目が鳴って起きなきゃというまでの、
あの時間帯がなんとも心地よい。

2017年11月11日(土)
昨日は久々に上野広小路近くのうさぎやのどら焼きを食べた。
餡といい、皮といい、まさに理想のどら焼き。
それはさておき、最近松坂屋の隣にできたPARCOとTOHO CINEMA。
この時代、この立地にずいぶんと攻めたことをするもんだと若干心配。

2017年11月10日(金)
特殊相対性理論のE=mc2を、m=E/c2と変形することで、
いくら食べ過ぎてカロリーを摂取しすぎても(E)、
それは光速の2乗(c2)というとてつもなくデカい数で除されるから、
体重(m)の増加には直ちには影響しない、と言い聞かせている。

2017年11月9日(木)
いよいよピアノを買うことにした。
20年ぶりの復帰(リハビリ)として取り組むのは、
バッハの「フランス組曲」に決めた。うーん、2番か3番。

2017年11月8日(水)
読書も進まない、稽古もはかどらない、
かといって仕事も自分で納得してない、
ダメ人間なここ数日。

2017年11月7日(火)
ケプラーの第3法則は、残る2つと比べると異質だよなぁ、と思っていたら、
江戸時代の麻田剛立という天文学者は、自力でこの法則を発見したらしい。
知らなかった。

2017年11月6日(月)
飲み会の幹事とは、まさに罰ゲーム。

2017年11月5日(日)
晩飯食べたらうたた寝してしまい、気付いたら深夜という最悪のパターン。
いっそのこと寝ないようにしよう、と思うにはまだ早すぎる。

2017年11月4日(土)
酒を飲みたいけれど、居酒屋にひとりはちょっと・・
というときには、サイゼリヤかバーミヤンが超オススメ。
前者はワイン、後者は紹興酒のクオリティが、
費用対効果的には十分すぎる。当然メシも旨い。

2017年11月3日(金)
とある治療の説明会で、ドクターが、
「人間はいま哺乳類をやっていまして・・・」と言ったのに、
進化の深淵を垣間見たような気がした。

2017年11月2日(木)
とある1日の珈琲事情。
朝、客先での打ち合わせ前にドトールで1杯。
打ち合わせ中に1杯。
ランチのあとに1杯。
午後の打ち合わせ中に1杯。
自社に戻ってくつろぎの1杯。
作業が進んだあと、ホッと1杯。
夕食後の1杯。

2017年11月1日(水)
ボーナスが出たらピアノを買おうと企んでいるのだが、
まだ買う前から、20年ぶりの復帰初戦をどの曲にしようかと考えている。
おそらくバッハかスカルラッティなのだけれど、
想像以上に指が動かず、ショックを受ける覚悟はできている。

約25年ぶりのピアノ

 ピアノ

ついに、我が家にも新しい家族が。

電子ピアノだけど、タッチがそれなりなら、特に問題はない。

大学入試の直前まで、ピアノは習っていて、

平均律の第一巻も終えたし、

「皇帝」「幻想即興曲」「イタリア協奏曲」「ラ・カンパネラ」

あたりも弾いていたので、腕にはそこそこ自信はあったのだが、
なにせ、約25年ぶりである。

またピアノを弾こうと思ったのも、とにかくバッハが弾きたいからで、
なので、リハビリもバッハ以外はあり得ないと思い、
「フランス組曲」をセレクト。

2番か3番かで迷ったのだけれど、
3番の方は、第1曲のアルマンドが2声なので、こっちにした。

3声と4声だとあまり変わらないけど、
2声と3声だとやはり随分違う。

ここ数日アルマンドを弾いてみたけど、
手応えとしては、まずまず。

思っていたほどのブランクは感じない。

いまの僕は、ショパンもベートーヴェンも興味がないので、
とにかく年内にこの3番を仕上げて、
来年からは、本命である「パルティータ」と「トッカータ」に進みたい。

「世界のタブー」(阿門 禮)

「世界のタブー」(阿門 禮)
タブーとは少し違うが、
某都知事が、不適切な用語を使ったことで、
選挙で敗北したことは記憶に新しい。

その言葉自体に差別的な意味は全くないが、
コンテクスト次第では、
不快であるととられかねない。

またここ数日話題になっている、
某スポーツ界もタブーの百貨店のような場所だ。

そもそも出自や育ちの異なる他者が集まれば、
程度の差こそあれ、そこには何らかの「タブー」が生まれるわけで、

それを国レベル、民族レベルで紹介するのが本書である。
(ちなみに、いま「人種レベル」と書こうとして、ためらった。
ひと昔前までは何ともなかった言葉が、いまでは差別ととられることが多い。
これはまた難しい問題だ。)

タブーを論じるということは、
すなわち文化を論じることになるわけで、
この本の守備範囲もなかなか広く、新書にしてはかなり「お得」な内容である。

「食のタブー」にある、なぜ『旧約聖書』では「反芻動物」を食してはいけないのか、を論じた部分などは、
動物の生理・生態も交えた仮説を紹介しており、なるほど、と思った。

巻末付録として「民族・人種蔑称一覧」というのもある。
これを深堀りするだけでも、一冊の本になるだろう。

しぐさや食や言葉など、
あらゆる角度から世界の文化を俯瞰した本としても、
オススメできる一冊だ。

映画「二つ星の料理人」

 映画「二つ星の料理人」

厨房を舞台にした作品は、どれも似たり寄ったりになりやすく、
この作品も取り立てて見るべきところはなし。

むしろ、シェフとオーナーの同性愛関係とか、
師匠の娘との昔の恋愛とか、
シェフが借金取りに追われていることとか、

薄いストーリーに肉付けするために、
無理やり盛り込んだようなエピソードがどれも中途半端過ぎて、

であれば、たとえば料理シーンをもっと丁寧に撮るなど、
本筋部分での厚みが欲しかった。

まるでファーストフードを食べるかのように、
何も考えずに観れて、そして何も残らない映画。

適正価格(劇場換算):1,129円

「したたかな寄生」(成田 聡子)

「したたかな寄生」(成田 聡子)
寄生生物の研究というのは、
おそらく「普通の」生物よりも遅れているはずで、
たぶんこれから、どんどん新しい研究結果が
発表されることだろう。

だから今のところは、
新書ではあるが、このぐらいの本を読んでおけば、
寄生生物についての大部分は理解できるのだと思う。

個人的に興味があるのは、
例えばカッコウの「托卵戦略」は、だいぶ見破られるようになって、
もはや完璧な寄生術とはいえなくなっているようだが、

それ以外の、例えば一部の昆虫に見られるような、
ホストをゾンビ化して、自分の意のままに操るような技は、

「寄生する側」にとって一方的に有利なように感じるのであるが、
常にどちらか一方が「タダ飯食い」をしているだけでは、
生物界のバランスは保たれない。

寄生する側も、常に何らかのリスクを負っているはずなのであるが、
それが何なのか、
新たな研究結果を待つしかないのであろう。

しかしまぁ、ここで紹介されているような、
奇想天外な生態をもつ生物のことを知るにつれて、
我ら人間の世界の、なんとちっぽけなことよと思わざるをえない。

彼ら寄生生物とそのホストが、
生きるために必死にダマし・ダマされ、というのに比べれば、

会社や学校の煩わしい人間関係などは、
一笑に付すべきレベルである。

生物たちの、生きるための知恵や戦略に驚嘆することは、
人間としての生き方を考えるきっかけにもなる。

「御馳走帖」(内田 百間)

「御馳走帖」(内田 百間)
急に湧いてくる、百間先生熱。

この「御馳走帖」は、
たとえば何とか魯山人が書くような、
グルメエッセイではない。

時には文句を言い、時には仲間と楽しみながら、
「自分なりの御馳走」を楽しむという、
まさに百間ワールドの真骨頂。

だから食すもの自体は、焼き豆腐でも焼き油揚げでも、
なんでもそれは、「御馳走」となる。

いくつか面白かったものを紹介すると、

百間先生は毎朝「英字の形をしたビスケット」を食べるのが習慣だったそうで、

—————–
アイやエルは劃が少ないので口に入れても歯ごたえがない。
ビイやジイは大概腹の穴が潰れて一塊りになっているから、
口の中でもそもそする。
—————–

なんてあたりは、しかめっ面をして英字ビスケットを選んでいる著者の姿が、
目に浮かぶようで楽しい。

また、馬肉が手に入ったので、仲間を読んで馬鍋の会を開くことになり、
それを、「玄冬観桜の宴」と名付けたり、

馬肉と一緒に、鹿肉を入れないと文字面的にバランスが悪い、
と言ったりするセンスには、感服せざるを得ない。

ピーク時には3つの学校で教えていた高給取りにもかかわらず、
借金に苦しんでいた姿と、

こうして「御馳走」を楽しんだり、
かたや全国を阿房列車で旅する姿とが、
なかなか自分の中で重ならなかったのではあるが、

この本の解説を読んでみると、
あぁ成程な、と、だんだんと百間文学の理解が深まったような気がしている。

「運慶 興福寺中金堂再建記念特別展」(@東京国立博物館)

秋晴れの上野公園では、「数寄フェス」(?)とやらがスタートし、
噴水の中に、寛永寺の山門(文殊楼)をモチーフとしたオブジェが登場。

寛永寺 文殊楼

台風が来たらバラバラにならないかとか、
この木材で割り箸が何膳ぐらい作れるのだろうか、などと考えながら、
正面の国立博物館へ。

平日だからゆったり鑑賞、、と思ったら甘かった!

入口には「入場まで50分待ち」の表示。
そして、行列。

東京国立博物館

この日は20時まで開館だったので大丈夫だったけれど、
通常通り17時までだったら、確実にアウトだった。

しかし50分などは、たかが3,000秒。
これから三千世界の仏様を拝みにいくのであれば、むしろちょうどいい。

さて、運慶といえば、
漱石の『夢十夜』の第六夜を思い出す。

運慶の仏像の眉や眼は、鎚と鑿とで作るのではなく、
木の中に埋まった眉や眼を、鎚と鑿とで掘り出すのだ、

という表現ほど、運慶の作品を適確に評したものはないだろう。

力強さと優しさと、
要するに人間の持つあらゆる表情に加え、

人生のその先を見たものだけが辿り着く境地における姿を、
完璧なる線と面で表現しているさまは、

まさに人の手によって作られたのではなく、
木に宿っていた魂を、仏師が掘り出したのだと言える。

さすがは漱石先生。

ちなみに、鎚(つち)を持つのは右手、
鑿(のみ)を持つのは左手、

だから左手のことを「鑿手(のみて)」と呼ぶのであり、
「酒飲み」のことを「左利き」と呼ぶのも、そこから来ている。

酒の話などはどうでもよいので、
まずは運慶の父親の康慶の作品。

・「法相六祖坐像」

法相六祖坐像

とにかく表情がすごい。

特に上に挙げた三体は、「あぁ、こういう人いるよね」
と思えるぐらいリアルではないだろうか。

そしてこれが、世代を超えて、
運慶の息子たちの周辺グループによる作品になると、ここまで極まる。

・「重源上人像」

重源上人像

正面からみた表情は言うに及ばず、
横から見たときの、背筋のライン、頭の形、顎の角度、顔の皺、

今にも動き出しそう、などというのは陳腐な表現ではあるが、
そう言わざるを得ないぐらい真に迫っている。

そしてクライマックスは、
運慶の手になる、二体の作品。

・「無著菩薩立像・世親菩薩立像」

無著菩薩立像・世親菩薩立像

どちらも高さ2m近くある堂々としたお姿なのだが、
画像ではそれが伝わらぬゆえ、あえて御顔に寄ったものを掲載する。

左が無著さん、右が世親さん。

一見優しそうに見えて、けれどどこか悲しいような、
眼に埋められた水晶のせいもあり、
うっすらと涙を浮かべているようにすら見える。

こういう表情は誰にでもできるものではないし、
もちろんそれを表現することも、並大抵の芸術家では叶わない。

ここでもう一度、先の『夢十夜』での表現を思い出してもらえれば、
言わんとすることは分かっていただけるものと思う。

そしてこの二像の周囲に配置された四天王像。

作者不明とのことだが、
ここまでの表現ができるのは、もう運慶以外にはあり得ないと思えてくる。

・「多聞天像」

多聞天像

これも実際は2mほどなのだが、やはり迫力が伝わらない。

しかしこのポーズ、質感・量感、
これがミケランジェロよりも何百年も前に作られていたことは、
日本人として誇りにしてよいと思う。

残る三体も、優劣判じがたい傑作。

・「持国天像」「広目天像」「増長天像」

四天王立像

今度は、敢えて寄った画像を。

見る角度によって、全然表情のイメージが変わってくるので、
鑑賞する機会があれば、是非全方向からじっくりと見ていただきたい。

興奮状態で外に出ると、
辺りはすっかり暗く、肌寒く、

昼間見た楼閣オブジェも、
いつの間にか幻想風になっていた。

寛永寺 文殊楼

「物理2600年の歴史を変えた51のスケッチ」(ドン・S・レモンズ)

「物理2600年の歴史を変えた51のスケッチ」(ドン・S・レモンズ)

天才たちの手によるスケッチを検証し、
そこに潜む物理の法則について解説する本かと思ったら、
どうやら違った。

確かに、中には実際に科学者が描いたスケッチの紹介はあるが、
大部分は物理の法則を、
著者自身がイラストで説明しようとしているもので、

しかもイラストへの依存度が10%ぐらい、
要するに、単にさまざまな物理法則を解説している本と、
それほど違いはない。

なので目新しいことは、ほとんどなし。

強いて挙げれば、

「ヒロポノスの自由落下」「オレームの三角形」

あたりは、
名前として初めて聞くものだったので興味が引かれたぐらいかな。

「江戸の琳派芸術」(@出光美術館)

常々思うのは、光琳、抱一、其一と連なる琳派の系譜は、
先人の素材を大胆に再利用しているわけで、
それはまさに、和歌の世界の伝統である「本歌取り」と酷似しているということ。

ただ、琳派の絵の多くは同じ素材に対して、
微妙なレベルで変化を加えてはいるものの、
基本的には同じ文脈を受け継ぐものであって、

本来の意味での「本歌取り」、
すなわち、四季の歌ならば恋の歌に替え、
恋の歌ならば雑歌に替える、といったような、

「主題の転換」というレベルには至っていないものが大部分のように見受けられる。

それは単に、絵画と和歌という、根本的に異質であるがゆえのことなのか、
それとも琳派の画家たちがそこまでは踏み込めなかったのか、
よく分からない。

ただ今回展示されていた、この「富士扇面」については、
光琳の描いた富士を、秋草の下地に大胆に貼り付けることによって、

其一は、心の師による祝賀的なテーマを、
秋草の野という寂寥たる情景に転換してみせたのである。

 「富士扇面」(尾形光琳・鈴木其一)

次に挙げた抱一の「燕子花図屏風」は、
「あの」光琳の燕子花を意識していることは間違いない。

けれども、光琳バージョンの直線的な濃厚さに対し、
抱一バージョンは、色合いも落ち着かせ、優美なCの字カーブに変質させた。

最初の其一ほどの大胆さはないが、
元ネタに付かず離れず、心地よいレベルの「本歌取り」であろう。

 「燕子花図屏風」(酒井抱一)

続いては、其一の「藤花図屏風」。

 「藤花図屏風」(鈴木其一)

表面に銀粉をまぶしているのだが、
最初見たときには、点描か?と思ったほど緻密であり、

残念ながら既に銀色が鈍ってしまっているので、
元の姿はどれだけ見事だっただろうかと、想像を楽しませてくれる。

そして次も其一の「四季花木図屏風」。

 「四季花木図屏風」(鈴木其一)

琳派な最終ランナーと言ってもよい其一による、
琳派の総決算的な作品。

紅白梅、燕子花、楓、流水・・・

琳派の画家たちが得意としたモチーフが総登場するグランドフィナーレであり、
絵画として優れているかどうかはさておき、
この展覧会の最後を飾る作品としては、実にマッチしていたように思う。

映画「ノウイング」

 映画「ノウイング」

公開当時、劇場に足を運んで観たのだけれど、
自分としては珍しく再度観たくなり、レンタル。

SF、ディザスター、スリラー、サスペンス、ヒューマンドラマ、
いろんな要素で盛りだくさんなのだが、ごたごたした印象はなく、
久々に鑑賞しても、なかなかバランスが取れていて悪くないと思った。

「日付+犠牲者の数」という数列が、ストレート過ぎてジワジワ怖いのだけれど、
極め付けは、最後の「EE」の意味で、
それが「Everybody Else」のことだと分かったときの、あのベッドの底の走り書きは、
程よくゾッとさせられる。

冒頭と終わり近くに、ベートーヴェンの七番の第二楽章が流れるのが印象的で、
劇中にクラシック音楽を効果的に用いた好例だと思う。

ただ、ニコラス・ケイジ演じる主人公は天体物理学者のはずなのに(しかもハーバードの教授!)、
太陽活動に異変が起きていることにずっと気付かないというのは、
ちょっと無理があるかも。

最後、家族が抱きあって終末を迎えるのは「メランコリア」と同じだけれど、
テーマは似ていてもアプローチの違いで全く異なる映画になるというのが興味深い。

ちなみに、某有名サイトの解説文で、
「地球の終末」とすべきところを、「地球の週末」となっていて、
なんか急にほのぼのした気分にさせられたのはご愛嬌ということで。

適正価格(劇場換算):1,800円

第25回 常磐津都㐂蔵研究会(@紀尾井小ホール)

常磐津都㐂蔵さんが僕の父親の三味線の師匠だった縁もあり、
ほぼ初めて、常磐津をLiveでじっくりと鑑賞する機会となった。

演目は「仮名手本忠臣蔵」の九段目、いわゆる「雪転し」の段である。

自分がいま義太夫で稽古しているのが三段目の「刃傷の段」で、
そこで陰でちょこちょこと出てくる加古川本蔵が、
この九段目では主役となる。

主君への忠義と親子の愛情という、
浄瑠璃のお決まりといえばお決まりのパターンなのだが、

その二つの王道テーマを、
「忠臣蔵」の脇役たちと言ってもよい人物たちが繰り広げるさまが、
なんともあわれを誘う。

特に最後、本蔵が事切れるときの、

「・・父様申し父様と、呼べど答えぬ断末魔、
親子の縁も玉の緒も、切れて一世の憂き別れ、
わっと泣く母、泣く娘、ともに死骸に向かい地の、
回向念仏は恋無情、出でゆく足も立ち止まり、
六字の御名を笛の音に、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
これや尺八煩悩の、枕並ぶる追善供養、
閨の契りは一夜ぎり、心残して、立ち出ずる。」

という、縁語・掛詞を効かした七五調の地合が、
しみじみと味わい深い。

語りは、力弥を語った常磐津千寿太夫と、
そしてなんといっても、本蔵と戸名瀬を語った常磐津菊美太夫が特に素晴らしく、

特に本蔵と戸名瀬の夫婦を語り分けた菊美太夫の芸は、
まさに素浄瑠璃ならではの醍醐味であった。