2015年

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diary 2015/12

・2015年12月31日(木) 「もうー♪いーくつ寝ーるとー♪」の唄ではないが、 今は既に使われなくなった「数え日」という言葉が好きで、 それについて書こうと思っていたら、いつのまにか大晦日になってた。 今年の総括や来年の抱負については、別記事で書くことにしよう。 ・2015年12月30日(水) 今日は一応、仕事納め。 案の定、納まっていないどころか、 年明けへの課題をたくさん抱えてしまったわけだ […]

「省略の文学」(外山 滋比古)

  前半は、切れ字を中心とした俳句論。 切れ字というのは、 理解できるようでいて、なかなか分からない存在でもある。 切れ字が俳句の中でどのように機能し、 そしてその句の世界をどのように拡張していくのかを、 明快に分かりやすく説明している。 もちろん著者は俳句の専門家ではないのだが、 逆に、そうであるがゆえに、大胆な発言が時として核心を衝くのであり、 特に主客の関係性から俳句の成り立ちを述 […]

  • 2015.12.26
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映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」

  何とか年内に観れて良かった、「妖怪ウォッ・・・」いや、「スター・ウォーズ」。 ちょうどドンピシャなおっさん世代なので、 エピソード1~6は、計30回以上は確実に観ていると思う。 当然期待値は高かったし、 ある程度のマイナスなら許せる!ぐらいの気持ちで臨んだのだけど。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 […]

「江戸食べもの誌」(興津 要)

  この本、古本屋でタダ同然の値段で買ったのだが、 同じ本が二冊並んでいて、 ハテ、どちらにするかな、と思って双方手に取ってみると、 一方には、表紙を開いたところに何やら書き込みがしてある。 「喜多八さま 興津要」 著者のサインだ。ご丁寧に落款まで押してある。 「喜多八」というのは、人なのか店なのかよく分からないけれども、 わざわざサインまでもらった本を売るとは、けしからん奴がいるものだ […]

「シカゴ ウェストンコレクション 肉筆浮世絵」(@上野の森美術館)

同じく人物や風俗を描いた浮世絵であっても、 肉筆と版画では、受ける印象はまるで違う。 肉筆ならではの緻密さや、色彩の美しさを十分堪能できた。 蹄斎北馬「桜の墨堤図」。 北馬の作品は今まで何度となく見てきたものの、 正直それほど印象的ではなかったのだが、 今回はその構図の妙と「白」の鮮やかさのインパクトが大きかった。 春の霞がかったような遠景に対し、 手前の人物に色を集中させるというコントラストの付 […]

「源頼政と木曽義仲」(永井 晋)

  源氏の中で唯一、朝廷や平氏とも友好な関係を保っていたものの、 ほんのきっかけが災いして、対平氏の挙兵をせざるを得なかった頼政、 武将としては天才的なセンスがあるものの、 上洛後の政争に巻き込まれ、結局は同胞の頼朝軍に討たれた義仲、 「源平合戦のヒーロー」とは言えぬ、 どちらかといえば地味な存在である二人の生き方にフォーカスし、 この時代のありさまを語るのが本書の目的。 「平家物語」に […]

「悪魔に仕える牧師」(リチャード・ドーキンス)

  一見するとオカルト小説のようなタイトルだが、 現代を代表する科学者による科学エッセイ集である。 エッセイといっても難解な内容のものが多く、 一読する場合には、ドーキンスの理論やネオ・ダーウィニズムについて、 ひととおりの知識を持っておいた方がよいだろう。 そんな中でも、いくつかは読み易いものもあり、 論敵でもあり盟友でもあった、グールドとの逸話・書評や、 科学的根拠を無視した宗教の盲 […]

J.S.バッハ「イタリア協奏曲」

ピアノは高3の年まで先生について、 そこから先は受験やら何やらで気が付いたら辞めていた。 でも弾きたい欲求は抑えきれず、 大学に入って一人暮らしを始めてから、当時20万円ぐらいした電子ピアノをローンで購入。 バイトから帰宅して夜な夜な弾いていた中の一曲が、 バッハの「イタリア協奏曲」。 あの当時のいろいろな思い出が詰まっている、と言えば大袈裟だが、 愛着があることには変わりはない。 第一楽章の、力 […]

映画「007 スペクター」

  思えば今年は、「ジュラシック・パーク」「ミッション・インポッシブル」「007」、 そして「スターウォーズ」の新作が公開されるという、まさに夢のような年。 そしてこの4作の中で一番期待していたのが、この007シリーズ最新作。 「カジノ・ロワイヤル」から始まった、ダニエル・クレイグによる新ボンドのシリーズは、 毎回必ず、過去というか前作以前を引きずるような場面が散見されたわけだけど、 こ […]

「贋作 吾輩は猫である」(内田 百間)

  猫シリーズの最後は、百間先生のこの作品。 言うまでもなく、オリジナルの「吾輩は猫である」は、 猫が甕に落ちて、念仏を唱えながら溺れるシーンで終わるわけだけれど、 そこには猫が死んだということは書かれていない。 (猫自身が語り手なのだから当たり前だが) それを逆手にとって、猫が首尾よく甕を脱出して、 「五沙弥」という新たな主人の家に潜り込むという場面から始まるのが、この「贋作」で、 漱 […]

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