同じく人物や風俗を描いた浮世絵であっても、
肉筆と版画では、受ける印象はまるで違う。
肉筆ならではの緻密さや、色彩の美しさを十分堪能できた。
蹄斎北馬「桜の墨堤図」。

北馬の作品は今まで何度となく見てきたものの、
正直それほど印象的ではなかったのだが、
今回はその構図の妙と「白」の鮮やかさのインパクトが大きかった。
春の霞がかったような遠景に対し、
手前の人物に色を集中させるというコントラストの付け方は、
錦絵ではあまり見られない、肉筆ならではのものだろうし、
手前の三人のうち、一番左の女性のポーズと子供の様子が、
この場面に動的な要素を加えていて、
何気ない中にも工夫が見て取れるなかなかの作品だと思う。
お次は、初代歌川豊国「時世粧百姿図」のうちの一枚。

取り立てて何が優れているというわけではないのだが、
女郎屋の舞台裏を露骨に描いているのが、
トゥールーズ・ロートレックを想起させて面白い。
当時の男性ならずとも、こういう光景には興味を引かれるに違いない。
葛飾北斎「大原女図」。

あるいは今回の展示で、もっとも印象深かったのはこれかもしれない。
華麗な色づかいが目立つ作品の中で、異彩を放つこの一枚、
まさに北斎の貫録というか、芸の奥深さを感じさせてくれる。
さらりと描いたようでいて、
力強くもあり優雅でもある大原女の立ち姿を見事にとらえている。
最後は、豊原国周「時代風俗美人図」。

時代ごとの美人の変遷を描いたカタログ的な絵図なのだが、
髪型や服装は変わっても、顔は変わらない。
「美人ってぇのは、顔で決めるもんじゃぁ、あるめぇよ」
という江戸っ子の主張が聞こえてきそうな面白みがある。
前にも書いたかもしれないけれど、
江戸の美人がみな同じ顔で描かれているのは、
没個性でも美意識の欠如でもなく、
顔や表情といった、
誰もが用いる美人の判断基準を敢えてフラットな状態にして、
それでも美人を描き分けるという、
高度な美的センス・技法の具現なのである。