教典と言語について

・「世界三大宗教」とは言うけれど、
仏教が残りの二宗教と比べて、マジョリティになれなかった理由としては、
教典の曖昧さにあると言わざるを得ない。

・すなわち、キリスト教には聖書があり、イスラム教にはコーランがあるが、
では仏教徒は何を読み、信ずればよいかと言われれば、
これが存在しないのである。

・これは布教の妨げになったばかりか、
特に我が国においては、国語の発展において重要な問題であった。

・ヨーロッパにおいて、ローマ帝国の支配下の時代は、ラテン語が公用語であった。
しかし、イタリアにはイタリアの、フランスにはフランスの言葉があったわけで、
そのような「国語」が整備された大きな原因は、
唯一無二の教典である聖書を自国語に翻訳する、という行為であったことは疑いようがない。
そもそも唯一無二の教典が存在しなかったということと、
(唯一無二ではない)仏典を吸収する際に、
それらを「漢文」という、天才的な発明ではあるが、普遍性のない記号に置き換えてしまったことが、
「あだ」になってしまった。

・そして皮肉なことに、
その漢文のアンチテーゼとしての、和文によって物語や和歌が表現され、
そこから文学が醸成されることになる。

・つまり、宗教と文学というテーマで考えた場合、
西洋と日本とでは、まったく異なる道筋を辿ってきたのであり、
それは古くは平安時代から、幕末・明治まで延々と続いたのであって、
明治以降の文豪と呼ばれる人たちの苦悩は、ここに端を発している。

・音楽は声楽から始まり、言葉と音楽とは不可分である以上、
この問題は、言葉の問題だけにとどまらず、
音楽の側からしても、無視できないのではなかろうか。

・西洋音楽の歴史を繙くに、
それが各国語の成立と歩みを共にしていることはほぼ間違いない。

・一方、我が国にはその段階がなかったことは上に述べたとおりで、
すなわちここに、西洋的オーケストラ音楽と、日本的三味線音楽の成立事情がうかがえるのである。

・西洋にオーケストラ音楽が生まれたのは、
その絶対王政的体制によるものだ、というのがほぼ定説にはなっているが、
ではなぜ、我が国の徳川幕府体制では、オーケストラ音楽が生じなかったのか、と言われると、
説明に窮するところがある。

・政治体制の問題ではなく、国語および文学成立の問題と共に考察することで、
これも解決されるのではないかと思うのである。

・・・・以上、着地点を見失ったので、ここまでとする。