「断腸亭日乗」(永井 荷風)
永井荷風先生の日記である。

1917年から、1959年の死の前日まで綴られている。

ランダムに本を開いて、目についたところから読む、
そんな楽しみ方がこの本にはピッタリで、

別にこの本から、
永井荷風とは何か、なんてことは読み取ることはできないし、
そんな読まれ方を、おそらく筆者も期待してはいない。

例えば、こんな感じ。1925年の日記。

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六月十九日。雨やみてはまた降る。

八月十三日。昨夜深更人定まるの後、
初めて蟋蟀の鳴くを聞きぬ。・・・
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てな具合で、梅雨の真っ盛りから、
お盆のど真ん中まで日記をサボっておきながら、さり気ない。

一体このおっさんは、夏の間、何をしてたんだ・・と疑いたくもなる。
なんとも心憎い。

こんなのもある。1933年の日記。

なぜ結婚しないのかについて、荷風先生思わず熱くなる。

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・・・どうしてお一人でいらっしゃるんですと、
不思議そうに問いかける婦人もある。

わたくしは始めから独身で一生を送ろうと決めたわけではない。

六十になっても七十になっても、
好色の慾は失せないものだと聞いているから、
わたくしは今が今でも縁があれば妻を持ってもよいと思っている。
(中略)
一夜の妻が二夜となり、三夜となり、
それからずるずるに縁がつながっていったら、大いに賀すべき事だと思って、
そういう場合には万事成り行きにまかせて置いたことも度々であった。
(中略)
わたくしは初めに言ったように、決して独身論を主張するものではない。
ただ、おのずから独身の月日を送ることが多いようになったのである。
(中略)
妻帯者には妻帯者の楽しみもあれば苦しみもあろう。
独身者の生涯またそのようである。

或年の夏、友達から見事な西瓜を一個貰ったことがあるが、
大きすぎて一人ではどうすることもできない。

折角の好意を無にする悲しさに、わたくしは、
もてあます 西瓜一つや ひとり者
という発句を書き送って返礼に代えた・・・
——————

なぜ結婚しないかを長々と述べ、
ちゃっかり一夜妻が二夜三夜になったと述べたりして、
最後に、もらったスイカが独身の一人ものでは食べ切れなかった・・・
なんてまとめるあたり、
四十を過ぎてこそいないが、同じく独身である自分には、
もう面白くて堪らない。

愛すべき作家の、愛すべき日記である。

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