僕はエッセイというジャンルが好きじゃない。
他人が何かをしたり、何かを考えたり、
ということに全く興味がないからだ。
それだったら、堂々とフィクションである小説や、
自然科学系の本の方が興味をそそられる。
それでも中には、その文章が好きだから思わずエッセイを読んでしまう、
という貴重な作家もいる。
種村季弘はそんな作家の1人で、
内容は別にどってことないのだけど(失礼)、
なぜかその語り口に引き込まれていってしまう。
内容ではなく語り口だけを楽しめるような本は、
酒に合う。
種村季弘だって、
ホントはえらく難しい評論を書く文学者なんだけれども、
そんな本を片手に焼き鳥屋のカウンターで酒を飲んでも、
内容がちっとも頭に入ってこない。
そればかりか、酒のまわりも中途半端になって、
何ともカントモ、面白くない。
だから、語り口だけを楽しめる本ならば、
音楽を聴いているのと同じ。
日本酒だろうがワインだろうが、酒に対して無害である。
「徘徊老人の夏」というエッセイは、
『94年は記録的な猛暑だった。』
というフレーズで始まる。
そういえば今年も猛暑だと言われるけども、
実際問題、そんなことは言われてみるまでは、
去年の暑さなんて覚えているわけがない。
いつだって夏は暑いものなのである。
そんな感覚で過ごしていると、別に酷暑も苦にならない。
最近、事務所のベランダの壁や天井に、
蝉がへばりついて鳴いていることが多い。
ついこないだまではアブラゼミだったのが、
今日はツクツクホーシだった。
なんの変哲もない白い壁に、
なんで蝉が付きたがるのかがよくわからないけど、
それも蝉なりの避暑なのかもしれないと思うと、
何だか微笑ましい。