今さら説明するまでもないが、
テレビというのはすぐれた機械だと思う。
そして、ハードがよくてもソフトがひどければどうしようもない、、
ということを証明してみせているのも、また、テレビなわけで、
健全なる肉体だからといって、
健全なる精神が宿るとは限らないようだ。
僕はそんなテレビの「ソフト面」が大嫌いだし、
そんなものに目や耳を使うのは時間の無駄以外何物でもないから、
しばらく前にテレビを手放した。
昔であれば、テレビを利用した世論操作みたいなこともあったわけだが、
昨今ではそれにプラスして、各テレビ局によるビジネス面の追求が、
目を覆わんばかりである。
要は、テレビ局による電波の私物化が始まっているわけで、
極論をいえば、個人によるツイッターと、
「情報発信」という意味では何ら変わりがなくなってしまった。
テレビ局だってビジネスなわけだから、
電波の私物化だって別にいいんじゃないの?と、
テレビとは別世界に住む僕は思うわけだけれど、
でも世間には「テレビ=公共の電波」という、
昭和の思想が根強く残っているようで、
どうも許してはくれないらしい。
そもそも「テレビ=公共の電波」という考え方が最も危険なわけで、
テレビで報道していることはすべて真実であり、
テレビこそは世の中と自分の部屋をつなぐ「窓」である、
と思い込んでいる人は多いのではなかろうか。
鉄道や電気、ガスのようなインフラと同じレベルで、
テレビというものが捉えられているわけだ。
だから、テレビ局が何かすると、いちいちクレームだとか何だとかが多い。
地デジに移行、となると、
まるで国民的義務であるかのように、大騒ぎになる。
日本人というのは、テレビに利用され、
テレビに腑抜けにされてしまった、良い見本であろう。
さて、本の話題。
副題に「メディア全体主義云々」とかあるので、
上述のようなメディア批判を展開してくれるのだろうと期待してみたが、
見事にハズレ。
かつてナチス・ドイツが、プロパガンダのためにラジオをどのように利用したのか、
ということが後半1/3に少し書かれている程度で、
うーん、大学教授が書く本でもこんなレベルなのか、、、と、
学生の質が下がるのもやむを得ないと思ってしまう。
テレビより先に教育機関の改革も必要か?
といっても、当たりハズレがあるのも本を読む楽しみなので、
それはそれで構わないわけです。