「枝分かれ」(フィリップ・ボール)
おなじみフィリップ・ボールの3部作の、3作目。

「かたち」「流れ」
そして今回の「枝分かれ」と読んでみて思ったことは、

世の中にあるパターンと思われるものは、
偶然の産物なのか、それとも、
そこにはなんらかの法則が働いているのか、ということ。

この3部作の中でも、
残念ながら自然界すべてのパターンについて言及できているわけではないので、
結論としては、「どちらもありうる」としかいいようがない。

ただし、すべてが「たまたま」ではないことだけは確かで、
シマウマやキリンの模様にも理由があるし、
なぜ川がそのような経路で流れるのかも、
おそらくはある法則に従っているはずなのだ。

しかしながら、この手の科学では、ここが弱点になるのだが、
話は帰納的な領域から脱することはできず、

シマウマやキリンが進化したらどのような柄になるのか、
昨日降った大雨が、川の流路をどのように変えるのかを、
予測することは不可能に近い。

それにしても、「枝分かれ」という概念の守備範囲は、広い。

例えば、ある高校生が、
文学部に進むか、法学部に進むかを迷った挙句、
結局文学部を選んだとした場合を考えると、

彼の人生には、
果たして「文学部方面」の枝しか存在しないのだろうか。

いや、そうではなくて、進学を迷った時点で、両方向の枝が生じ、
どちらか一方を選んだ時点で、もう一方は消滅するか、
それとも我々には認知できない「another world」へ吸収されたのかもしれない。

それは波動関数という視点からは、
当たり前の考え方でもある(並行宇宙)。

また、「www」(ウェブ)の世界も、
ある意味は「枝分かれ」なわけで、

サイト上のどちらのハイパーリンクを踏むかによって、
我々の行動は大きく左右される。

ウェブ広告とは、
まさにそのよう「枝分かれ」を利用したビジネスである。

この3部作を読んであらためて痛感したことは、
畢竟、世の中は謎だらけというとことである。

ただ謎を謎のままにして放っておくのか、
その奥にあるかもしれない摂理を探ろうとするのかは、
その人にどれだけの時間と好奇心があるのかに、よるのだろう。

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