かのライシャワーによる50年前の著作である。
慈覚大師こと円仁は、
実は日本で最初に「大師」を名乗ることを許された人物なのだけれども、
その師である最澄、そして空海という偉大な二巨頭の陰にあって、
一般の知名度はそれほど高くはない。
しかしながら彼の手になる「入唐求法巡礼行記」は、
仏教上の価値はもちろん、文化的・歴史的な意義の高いものであり、
それはこの本の冒頭で、ライシャワーがくどいまでに、
「東方見聞録」との比較をしながら力説しているところでもある。
澁澤龍彦が珠玉の名作に仕上げた高丘親王の場合のように、
「求法(ぐほう)」という行為には、
ロマンチックな要素が多分に含まれている。
だが円仁の場合は逆で、当時の唐の様子を、
俗っぽいまでに生々しく記しているところに、
その魅力があるのだと思う。
特に武宗による仏教弾圧に文字通り「翻弄」されて、
「還俗した方がましだ」とまで思うに至るくだりは、
失礼千万ではあるが高僧の面影はなく、
むしろ親しみがわくほどである。