例文として、「日本書記」と江戸の戯作が一緒に並ぶなど、
構成にもうひと工夫欲しいとは思ったが、
現代語からそれに対応する古語が引ける(つまり「逆引き」古語辞典)というのは、
面白い試みだと思う。
それにしてもあらためて思うことは、
日本の古語においては、
主観を表す単語が豊富だということである。
例えば、現代語の「怖い」に対応する古語として、
この本では以下の古語を挙げている。
かしこし、ゆゆし、おずし、おぞし、おぞまし、おそろし、けおそろし、ものし、けうとし、うとまし、すごし、こころすごし、つべたまし、むくつけし、むくむくし、むつかし、けむつかし、こころにくし、こはし
古語のバリエーションの多さに感嘆するのもアリだが、
逆にいえば、現代語の「怖い」という語は、
ここに挙げた微妙にニュアンスの異なる古語たちの意味を
すべて含有していることになる。
実はそれはそれで、すごいことだと思う。
たとえて言うならば、
今までは10種類のソフトを使わなければならなかったような処理が、
1種類のソフトでもできるようになったのと同じことで、
昔はあんなにいろんなソフトがあったのに…と懐古するか、
今はこんなに便利になった!と嬉しがるのかは、
どちらが正しいという訳でもあるまい。
言葉はソフトである。
変わってゆくものを使いこなしてゆかねば、
時代に取り残される。