日本では人気の高い「トゥーランドット」だけれども、
個人的にはそれほど良い作品とは思えない。
モーツァルトでいえば「魔笛」のような感じで、
題材は良いのだけれども、台本がイマイチなのと、
良いアリアはあるのだけれども、
なんとなく作品から浮いてしまっている。
今回聴きながら、思った。
やはりアルファーノによる補筆は、失敗である、と。
芸術作品が未完成である場合、
未完成なら未完成なりの味わい方がある。
無理に完成させる必要はないし、
いや、巨匠の作品に手を加えようなどということは、
軽々しくできるものではない。
ただモーツァルトの「レクイエム」などは、
作曲者自身が病床にて弟子に補筆の指示をしたという意味で、
許されるものだろうが、
しかし、例えばセザンヌの未完成の画に、
一体誰が手を加えて完成させようと思うだろうか。
「トゥーランドット」においては事情が別のようだ。
病魔による他界でプッチーニが断筆せざるを得なかった大作に対して、
何人もの人が補筆を試みているのは、
やはり作曲家が愛されているゆえか。
とりあえずアルファーノによる完成版が、
上演のスタンダードになっているわけだが、
プッチーニ本人が書いたところまでとその後とでは、
明らかに音楽の質が違いすぎる。
初演時にそのスコアを見て、憮然と大幅なカットを行い、
さらにはオリジナルのところで演奏を中止したという、
トスカニーニの気持ちも分かる気がする。
肝心なフィナーレに‘こじ付け感’が残る以上、
フィナーレ如何によってその魅力が増減する、
ヒロイン・トゥーランドットの人物描写が曖昧になってしまい、
結果このオペラの焦点がぼやけてしまっているのだと思う。
不運な作品についてはさておき、
マリア・グレギーナのソプラノはなかなかものだった。
オケも思った以上に繊細な音色で、
そつなくこなしたという印象。