品川に前泊したにも関わらず、豪快に飛行機に乗り遅れ、
なんやかんやで、
高知龍馬空港をレンタカーで出発したのは、正午ごろ。
絵に描いたような曇天。
カーナビで「足摺岬」を入力すると、
「50km以上道なりです」と言われる。
50キロどころか、3時間半、ひたすらまっすぐ西へ向かうんです。
要するに、四国の左下の端が目的地である。
そもそもなぜ足摺岬なのかというと、
まずは「岬」というものに惹かれていたというのがある。
「岬」というのは、日本語的には「mi-sak-i」で、
「sak」とは「咲く(sak-u)」「酒(sak-e)」「坂(sak-a)」などと同様、
エネルギーが最大に高まり、
それが放出されるさま、あるいはそのような場所を指す。
つまり、陸上のエネルギーが一点に集中し、
それが海へと放出される場所が「岬」なのである。
次の理由としては、足摺岬の地名の由来を説明する中世の仏教説話が、
妙に記憶から離れないこと。
岬の近くのお堂に、坊さんと小僧さんが住んでいた。
そこに物乞いがやってきて、しばらく泊めてほしいという。
坊さんは、「我々だけでも食べていくのが精いっぱいだから、断りなさい」と、
小僧さんに言う。
しかし小僧さんは坊さんの言い付けを守らず、
そっとその物乞いに自分の食事を与えていた。
ある日坊さんがそのことに気づき、小僧さんを叱る。
叱られた小僧さんは「補陀落浄土へまかりまする」といって、
物乞いといっしょに、お堂を後にする。
驚いた坊さんが岬まで駆け出してみると、
菩薩の姿をした二人を乗せた小舟が、
夕日に向かって進んでいくところだった。
二人は菩薩の化身だったのである。
それを見た坊さんは、「自分はなんて馬鹿なことをしたのだろう」と、
「足を摺って悔しがった」から、
この岬を「足摺岬」という、というお話。
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ワインディングが続く山道をひた走る。
同乗者がいないので、運転に気を遣う必要もあるまい。
途中、何度か豪雨になったり、止んだり。
土佐湾を見たり、四万十川を渡ったり、
窓の外の景色に飽きることはない。
ステレオを切って、窓を開け、
自然の音を楽しみながら進むことにする。
15時20分ごろ、足摺岬に到着。
細かい雨が降りやまない。
「天狗の鼻」から、灯台のある岬を見ると、
グレーの海と、禿げた岩肌、そして雨空が、
何ともいえない寂しさを醸し出している。
意外なほど、波は静かだ。
まぁ、特に何をするということもない。
岬の周りを散策してみる。
一応、道にはなっているが、
背の低い灌木の間をうねうねと、
傘をさす必要がないぐらい、木々が密集している。
歩いたところで、何があるわけでもない。
もう一度、広いところに出て、海を眺める。
特に何かが変わったわけでもない。
結局40~50分ぐらいの滞在だっただろうか。
また3時間半もかけて、
来た道を戻るのも億劫だったが、
暗い山道を走りたくなかったので、
早めにおとなしく帰ることにする。
20時ごろ、はりまや橋のホテルにチェックイン。
夜の街を彷徨って、土佐料理屋に入る。
かつをの塩たたきと、ウツボの煮こごり、
かつをのコロッケを食う。
日本酒も旨い。
例によって酔いが早いので、
空港で買った酒が待つホテルの部屋へ戻ることにする。
ここでは街路樹がソテツ(たぶん)だ。
この時期の夜でも、全然寒くないので、
すぐに酔いが醒めることもないだろう。