「フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説」(スティーヴン・ジェイ・グールド)

 

進化学というよりも、統計学に近い内容かもしれない。

すなわち、我々は、与えられたデータを、
誤って解釈してしまうことがいかに多いかということを、

「メジャーリーグで四割打者が消滅した理由」を喩えとして、
説明したのが本書である。

グールドの考えとは一致しないかもしれないが、
データの扱いというのはとても難しく、
全く逆の解釈を生むことも可能だ。

例えば、10回の抜き打ち試験を受けたとする(100点満点)。

10回のうち、9回は10点、1回は90点だったとする。

これをどのように解釈するべきか?

解釈1:平均点は18点だね。だから18点分の力はある。

解釈2:最高点は90点だね。だから君には90点分の実力があるんだよ。

解釈3:ほとんどが10点じゃん。だから実力はたった10点なんだよ。

こんな単純な例でさえ(いや、単純だからこそか)、
主観によって、解釈がバラけてしまう。
(もし自分の子供がこの点数を取ったら、どの態度で接するべきか!)

そして何よりも気にすべきは、ここには「100点満点」という越えられない壁があることだ。
(これが1000点満点であれば、解釈はまた変わってくる)

生物の進化に視点を移してみよう。

どの時代にも「トップランナー」と呼ばれる種が存在した。
節足動物、魚類、両生類、爬虫類・・・、そして現代はヒト。

トップランナーは次々と出現するが、地球上で最も栄えているのは、
太古から変わらず、バクテリアである。

つまり、抜き打ち試験を行うと、毎回ほとんどが10点であるが、
たまに、60点とか70点を取ることがある。
ただし、統計上はあくまでも、「ほぼ毎回10点」という状況なのだ。
(バクテリアを10点にたとえたのは、何も彼らが劣っているという意味ではない)

「突出した例外的なケース」は、確かに大きく上振れすることもあり、多様性も増しているが、
実はベース部分は、何も変わっちゃいない、

これがグールドの進化学のズバリではないだろうか。

それは別に悲観的な意味ではなく、
我々ヒトが進化の最前線であり、頂点だと思わないように、
という警告の方が強いのかもしれない。

全生物でいえばバクテリア、可視的生物でいえば昆虫。

彼らこそが、昔から変わらぬ地球の「主」であり、
我々はかつての魚類や爬虫類のように、一時的に出現した例外であって、
四割バッターのように、いつ消えるかも分からない存在なのである。

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