これは仏像に対しても言えることなのだが、
本来の宗教的意義が無視あるいは軽視され、
もっぱら美術作品としてのみ鑑賞されることが、よくある。
特にマンダラともなると、密教や呪術といった、
胡散臭いイメージが一般的にはつきまとうため、
とっつきにくいモノであることは、確かだ。
この本は、正面切って、
密教におけるマンダラの意義について解説したもので、
もっと具体的に言えば、
マンダラの図像の意味するところと、
それが密教の現場において如何に用いられていたか、を述べた本だ。
僕が思うに、マンダラとは、
現実世界と仏界とを結ぶ「媒体」ではなかろうか。
「仏界易入」とはいうものの、
「では、心を無にして瞑想してごらんなさい」と言われて、
果たしてどれほどの人が実践できるだろう。
真の「真空」が物理的には実現できないのと同様、
「心を無にする」なんてことは、できっこない。
無にしようと思えば思うほど、
「無にしようと思っている自分」が生じてしまう。
ではどうすればよいのか。
そのための手助けとなるのが、マンダラなのである。
心の中で、マンダラの神仏たちを一体ずつ再現することで、
集中力が高まり、瞑想の境地へと誘われてゆく。
これこそがまさに密教の奥義であり、
これを我が国に持ち込んだのが、
弘法大師空海であった。
音楽でもそうなのだが、同じフレーズを繰り返すことは、
精神をハイの状態にすることが分かっている。
マンダラの規則正しい、永遠を象徴するかのような図像には、
そのような意図もあるのだろう。