得てして「花鳥風月」というような、
「キレイゴト」で粉飾されてしまう日本文化の、
負の部分である「鬼」にスポットを当てた、
馬場あき子さんの名著。
鬼を語るに当たっては、
民俗学的あるいは文学的アプローチがあるが、
この本では後者がメインである。
現代には妖怪は住めなくなった、とはよく言われるが、
その反面、鬼は大変元気であると、僕は言いたい。
この本にも書かれているように、鬼とはアウトサイダーであり、
心に生まれる隙であり、
道理では説明できない「何か」なのである。
「魔が差した」とよく言うが、
その「魔」というのが、すなわち鬼。
「心を鬼にする」「鬼上司」「鬼ごっこ」「渡る世間は鬼ばかり」etc.
現代人が使う言葉の中にも、「鬼」は多く登場する。
それはすなわち、我々の心の中に、
まだ鬼が住みついている証拠でもある。
現代とは、一見、合理化が進み、
すべての説明がつくかに思われる時代である。
ただ、そんな時代は窮屈だ。
現代人が少しでも「逃げ道」を残しておくために、
敢えて「鬼」というものを生かし続けてきたのではないだろうか。
鬼にとっては迷惑かもしれないが、
都合が悪いことがあれば、鬼のせいにしてしまえばいい。
鬼を完全に排斥するのではなく、
一年に一回、「鬼は外」と言って、
その時だけ退治すればよいのである。
ある種のウィルスと同様、
共生の道を歩んできたというべきだろうか。
「それをかく鬼とはいふなりけり」
と言い切った『伊勢物語』の作者は、すでに、
人の心の中の鬼の存在に、気付いていたに違いない。