今朝、青山の横断歩道で、母親が幼児に、
「さぁ、信号が緑になったから、渡りましょうね!」
と言っていた。
うむ。
その通りなのだけれども、
一般に信号の「Go!」は「青」だとされている。
僕も、生まれて以来、あれは「青」と呼ぶのが身についている。
確かに厳密にいえば、
あれは「緑」なので、このお母さんは正しいのだが、
ukiyobanare的には、「ちょっと待った!」と言いたい。
そもそも、古代日本語では、色を表す語は少なかった。
波長の近いもの、たとえばオレンジもピンクも朱色も「赤」だし、
緑も青も群青も「青」。
それは古代だけではなく、現代でも同じなわけで、
太陽の色を「赤」といっても通じるし、
「青々とした山」といえば、
それが葉っぱの緑を表していることは、誰でもわかる。
要するに、「青信号」というときの「青」は、
広義の意味での「青」なのである。
これは教育に原因があるのかもしれないが、
どうも今の若者は、ボトムアップ式の思考をする傾向がある。
いきなり細部にいくのである。
まぁもちろん、細部から帰納的に大局に辿り着くのも悪くないが、
それには相応の訓練が必要となる。
やはり、特に若いうちは、トップダウン式の思考を心がけるべきであって、
まずは全体を知り、その後、そこに含まれるそれぞれの要素に、
下りていくのがよいのではないか。
そうしないと、いつまでたっても、
「木を見て森を見ず」の状態からは抜け出せない。
まずは大きく「青」という概念をたたき込み、
その後、「あれ?この青とこの青は違うような気が・・・」ということで、
知性と感性が発達していくのではなかろうか。
小難しい話はともかく、この幼児が大きくなった際に、
青信号なので渡りましょう、と言われて、
「いや、これは緑だから渡らないよ」
なんて事態にならなければ、よいのであるが・・・。