ちょっと時間があったので、WEBのニュースを斜め読みしていたら、
随分と多かった、プロ野球の統一球問題。
んー、ただ、僕が感じたことと、
世間の(というかマスコミの?)意見は、随分違うようだ。
プロスポーツなんてものは、所詮エンタメなので、
別に何があったって、いいじゃない。
八百長とかなら、お金払って観てるファンには申し訳ないかもしれないが、
ボールが飛ぶようになったところで、別に「損した」と思うファンはいるまい。
選手の実力の変動やその他の事情に合わせて、
用具の規格を変更したり、球場を改修するなんて、もはや当たり前。
むしろ球場の外野フェンスの高さを変えられたりできる方が、
よっぽど不公平だと思うのだが。
それに、野球ほど基本ルールが長い間変更されていないスポーツも珍しいと聞く。
毎年同じルールでできるのならば、
観ている側はともかく、少なくとも「プロの」選手であれば、
ボールの飛ぶ・飛ばないぐらいで騒ぐのは、ちょっと恥ずかしい。
「飛ばない」ボールのときでも、打っていた打者はいたわけだし、
騒ぐ前に、技術を向上させて結果を出すのが、プロだろうと。
サラリーマンの世界で、「PCの性能が悪くなったから営業成績が落ちました!」
なんて言ったら、それこそ顰蹙ものですよ。
これもあの地震のときからかな、
何か普通じゃないことがあると、マスコミが寄ってたかって叩く、という風潮が、
最近の日本にはある気がしてならない。
「それは悪い!」って言うのは、
他にもあるかもしれない問題を、全部それに被せることができるから、
すごく楽だし、無責任なわけですよ。
そして、多くの人が「悪い!」と思ってしまったものに対し、
「そうでもないでしょ」と発言するのは、その逆よりも、実は難しい。
例えば、「素晴らしい」という評判の映画を酷評するよりも、
酷評されている映画を「素晴らしい」と褒めることの方が、
心理的には、ハードルが高い。
ただ、二元論的な価値判断に縛られることなく、
ひとつの問題を、もっと色々な角度から検討するようにしないと、
情報の受け手は、間違えた方向に誘導されないとも限らない。
それは、環境問題や科学、政治、経済についても然り。
どのようなルートからであれ、情報には必ず何らかの操作が入っており、
それが自分の脳に入ったときに、更に主観というフィルターを通さなくてはならないからだ。
今回のコミッショナー?だか何だかも、
「用具の規格が変わるなんて、当たり前ですよ」
ぐらい言って涼しい顔をしていればよかったのだけれども、
少し対応がまずかった。
そうすると、マスコミはそのまずかった点が、
あたかも本丸であるかのように、叩きだす。
問題の本質はそこではないのだけれども。
ということで、情報に踊らされないように、
これからもukiyobanareを貫きます。