※画像はこちらのサイトより転載させていただきました。
僕の大好きなB級ホラー映画「イベント・ホライズン」で、
海王星の魔力?に憑依された博士が、自分で眼をくり抜いたことに対する説明、
「ここ海王星では、可視光線が届かないから、ヒトの眼はもはや必要ない」
というのは、生物の進化にとって興味深い台詞だ。
生物にとって、眼の獲得、が、とてつもない大事件だったことは、間違いないだろう。
では生物がどのように眼を獲得したかというと、これが謎なのである。
完璧な眼を備えた生物、すなわち三葉虫が、いきなり進化の舞台に登場したのだ。
彼らの眼は、我々のような軟弱なものではなく、
方解石でできており、中にはこの「オピペウター」のような、巨大すぎる眼をもったものまで現れた。
僕の疑問は、3つ。
1.なぜ三葉虫は突然眼を獲得できたのか。
2.眼が生存に有利だったのだとしても、
三葉虫以外の種も同様に眼を備えるようになれたのは、なぜなのか。
3.我々哺乳類の眼の構造は、ベストなのか。
「1」については、カンブリア紀(あるいはそれ以前)の地球において、
「可視光線」についての何らかの変化があったと考えるのが自然だろう。
つまり、それまで暗黒だった海底に、何らかの理由で可視光線が届くようになった。
よって、それをキャッチするカメラが実験的に装備された。
(それがなぜ三葉虫なのかは、分からないが。)
「2」については、眼が生物の生存にとって圧倒的有利な条件であり、
それが様々な三葉虫仲間に標準装備されたのも理解できるけれど、
そこから他の種にどのように「飛び火」したのかが、よく分からない。
例えば、我々ヒトの「二足歩行&手の使用&言語の発達」という性質は、
生存に圧倒的に有利なのであろうが、
それが他の種に飛び火することはあり得るのだろうか。
(あり得るとしたら、二足歩行で言葉を話すイヌが現れるかもしれない。)
「3」について。
眼が、優秀なカメラであることは認めてもいいが、
それにしてもこの器官は、無防備すぎはしないだろうか。
最初の眼が、方解石でできていたにも関わらず、
我々の眼は、なぜここまで外部に対してむき出しで、しかも軟弱なのか。
(砂粒ひとつ入っただけでもすごく痛むし、
口や鼻の病気に比べ眼病の多さは圧倒的であろう)
ついでに言うと、眼以外の器官で改良の余地がありそうなのは、気管と生殖器で、
前者は食道とあまりに近すぎるのと、
後者は排泄器官とあまりに近い(男性の場合は同一!)。
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もはや三葉虫とは関係ないが、眼の話。
一つ目小僧、というのは古典的な妖怪で、この起源には諸説あるのだけれど、
柳田国男の、「神への生贄として片目を潰しておいた」という説は、
その残酷性のせいもあり、興味深い。
一つ目だけが妖怪ではなく、
三つ目もいるし、「百眼鬼」のようなものまである。
古代中国では、戦争の際に、
額に三番目の眼を書いた妖術師を戦場に連れていき、
その「第三の眼」の眼力により、敵軍に呪いをかけていたそうで、
眼には尋常ならざる力があり、
だからその数が普通(二つ)と異なれば、すなわち妖怪と見なされた。
そこで果たして、眼が二つであることは進化の必然なのか、
頭頂部と顎にあと一つずつ、合計四つの眼があった方が便利なのではないか、
車だって、バック部分にカメラを付けたものもあるし・・・・
などと考えると、とりとめもなくなるので、今日はこの辺で。