色々と想像が広げられるから、
読むなら古代史の本。
「邪馬台」は「やまたい」ではなく、
「やまと」と読むべきだと思っているので、
邪馬台国が大和地方にあったであろうことは、
ほぼ間違いないだろう。
卑弥呼と邪馬台国について、僕が興味をもっているのは、
「古事記」や「日本書紀」のような、いわゆる「歴史書」の著述との関係だ。
卑弥呼も邪馬台国も、登場するのは中国の歴史書(「魏志倭人伝」)であり、
「古事記」や「日本書紀」には記されていない。
それはなぜなのか。
残念ながら、本書の主題はそこではないので、
あまり触れられてはいなかった。
ただ、日本の古代から中世にかけて、
しばしば登場して、必要以上に存在感を発揮していた「女帝」の役割については、
興味深い記述があった。
著者いわく、易姓革命が発生しそうになると、
必ず女帝が現れて、世の中の流れをリセットするのだ、と。
すべてがこのパターンに当てはまるわけではないと思うが、
それなりに説得力はあると思った。
そしてそのような「女帝」の「走り」が卑弥呼なのである、
というのが、本書の主題である。
でもやはり、一方では、神武~ヤマトタケル~雄略のような系譜を語る史書があって、
一方では、卑弥呼や邪馬台国のような存在があって、
後者は浮いているというか、
前者の系譜を語る歴史や物語の中のどこに潜んでいるのか、
明確になってくれない、もどかしさのようなものは、残る。