あくまでも「三味線奏者」による理論書という点で、
他の同類書とは一線を画している。
単純に、譜面や耳で聴いた音から理論を組み立てるのではなく、
弾き手がどのような音を弾こうとしているのか、また、なぜそのような指使いをするのか、
という視点での論の展開は、
内容の正否はともかく、斬新で興味深いものだった。
特に長唄と義太夫の三味線を比較することで、
「弾き手が意図した音」と「実際に出されてしまった音」との違いを明確にしているのだが、
これについては、果たして比べるべきは長唄と義太夫という、<br/ >三味線音楽の中では、ある意味両極端な2ジャンルだけでよいのだろうか、
という疑問は捨てきれない。
義太夫以外の浄瑠璃、例えば清元や新内ではどうなのか、
唄ものでは、小唄や歌沢はどうなのか、
といったあたりまで踏み込まなければ、論としては不十分なのではなかろうか。
また、例の小泉文夫の「テトラコルド理論」の否定というか、
そこから脱却することを、主眼としているようにも捉えられるのだが、
あちらはあくまでも、「民謡・俗謡」が対象であり、
それが長唄や義太夫にもそのまま当てはまるとは、どうしても思えないのである。
もちろん、江戸の三味線音楽の底流には民謡・俗謡が存在しているのは事実だが、
長唄や義太夫は、そこからはかなり離れたレベルで洗練されたものであると思われ、
仮に民謡・俗謡の影響を肯定するのであれば、
同様に大陸音楽の影響も無視できないことになるのではなかろうか。
なのでまとめると、目の付け所は素晴らしいと思うのだけれども、
実証不可能な仮説として参考にすべき内容だと感じられた。